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クエリ検索: "ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ"
5件中 1-5の結果を表示しています
  • 菅 章
    美術教育学:美術科教育学会誌
    2001年 22 巻 287-292
    発行日: 2001/03/30
    公開日: 2017/06/12
    ジャーナル フリー
  • -新宿ホワイトハウス(原設計:磯崎新)を対象とした改修設計プロセス-
    赤塚 健, 井上 岳, 齋藤 直紀, 佐野 哲史
    日本建築学会技術報告集
    2025年 31 巻 78 号 923-928
    発行日: 2025/06/20
    公開日: 2025/06/20
    ジャーナル フリー

    The focus is on a design process for continuous succession of modern housing architecture. While many of the houses that have been recognized for their values as modern architecture are in danger of being demolished in recent years, there has not been enough discussion about how to pass on their values while continuing to use them. The aim of this research is to clarify some of the issues involved in passing on modern housing architecture through the renovation of Shinjuku White House originally designed by Arata Isozaki and the subsequent process of its operation.

  • ―制度的な造形遊びを計画する視点から―
    宮城 正作
    美術教育学研究
    2024年 56 巻 1 号 249-256
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/31
    ジャーナル フリー

    本研究の目的は,永守(1997)が指摘する〈造形遊びと1960年代のアートの「堅固な相同的関係」〉を確かめることだ。永守(1997)によれば,それらを結びつけて考えることができるのは,双方がたまたま似ているからではなく,その構造が同じだからだという。本研究では,そのことを〈構造的同一性〉と呼び,〈造形遊びのとらえ方〉と「表現過程の自立」という概念に,そのような同一性を見いだした。「表現過程の自立」という概念は,1960年代の現代美術を特徴づける考え方であり,この概念と造形遊びの間にある構造的同一性を明示できれば,それに基づく個別の現代美術の動向を適切に造形遊びに関連づけられると考える。結論としては,双方は〈環境的要素を起点とする造形活動〉という構造的同一性を有しており,物質や行為,時間や空間を起点とした造形活動という意味で同一の構造をもっている。

  • 橋本 忠和
    環境芸術
    2012年 11 巻 71-79
    発行日: 2012/11/24
    公開日: 2018/04/04
    ジャーナル フリー
    2010年から「瀬戸内国際芸術祭」がスタートしている。アートによる地域活性化をめざすこの芸術祭では,古い家屋を改修・改築する「家プロジェクト」や廃工場をアートで再生する取り組みが展開されている。このように現代芸術で地域社会を活性化させようとする動きは,都市から里山・離島に至るまで全国各地で興っている。そして,それらの地域において市民と芸術家,さらに諸団体が相互に連携して地域環境を素材とした環境芸術の作品を作り出している。そこで,本論においては,日本における「環境芸術」と地域社会との関係性の変遷を彫刻設置事業とアート・プロジェクトを手がかりに整理することで,「環境芸術」が地域社会とどのような関係を持ってきたのかを明らかにし,現代社会における意義を考察する。
  • 田口 仁
    映像学
    2023年 109 巻 5-26
    発行日: 2023/02/25
    公開日: 2023/03/25
    ジャーナル フリー

    足立正生を中心に製作された映画『略称・連続射殺魔』(1969年)は、連続射殺事件の犯人として逮捕された少年永山則夫のドキュメンタリー映画である。『略称・連続射殺魔』は一般に松田政男を主唱者とする「風景論」と一対のものとして考えられ、同作を扱うほぼ全ての論考において、映画は「風景論」の絵解きとして解釈されてきた。だが、「風景論」は映画の製作について手法を指示するものではなく、映画にその理念が実現されていたとすれば、同作が製作から5年もの間封印されたことの理由にも疑問が残る。本稿では、この映画について作品の実態に即したカット分析と同時代の文化史的な文脈を参照した分析を行うことでその特質を明らかにし、60年代の制度批判的芸術表現総体との関連において位置づけ直すことを試みる。

    まず第一節では議論の前提となる「風景論」の左派運動的制度批判と永山則夫の人生物語との関係を整理し、次いで第二節では「風景論」を映画に反映的に読みこむ既存の解釈と対照してショット分析を示すことで、映画が実際には永山の個人性に寄り添うナラティヴを展開していたことを明らかにする。最後に第三節では、足立の実験映画作家としてのキャリアと赤瀬川原平を中心とした人的交流から、『略称・連続射殺魔』の封印の理由を分析し、同作をエクスパンデッド・シネマとして解釈することで、むしろこの封印の行為こそが「風景論」の左派芸術運動的な側面の表現であったことを示す。

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