『裏窓』(
Rear Window, 1954)の主人公ジェフは、しばしば「映画観客」のアレゴリーだとみなされるが、これに対して彼を「テレビ視聴者」だとみなす解釈がある。本稿は後者の解釈の意義をより詳細に検討するために、当時のテレビが「洗脳装置」として警戒されていた点に着目する。1950 年代にアメリカを席捲した「洗脳」は、その起源の一つとして『脳の仕組み』(1926)というプドフキンの記録映画が重要な役割を果たしたことが知られている。その一方で、彼のモンタージュ理論こそヒッチコックが『裏窓』を「純粋映画」とみなす際の最大の根拠でもあった。このように、洗脳装置としてのテレビと、純粋映画という二つのメディアの究極形態のキーパーソンとしてプドフキンを想定する時、『裏窓』の「テレビ視聴者」はいかなる意味を持ち得るのか。本稿はこれをテレビに対する「アイロニー」として捉え、その意義を考察する。その結果、『裏窓』 は自らがテレビ以上に優れた洗脳装置であることを示すことで、ヒッチコックの理想を体現しているという点を明らかにした。
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