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クエリ検索: "プリマス" イリノイ州
6件中 1-6の結果を表示しています
  • 「核」と「異質」の緊張関係の中で
    片桐 康宏
    アメリカ研究
    1993年 1993 巻 27 号 189-199
    発行日: 1993/03/25
    公開日: 2010/10/28
    ジャーナル フリー
  • カフマン 政子
    医科器械学
    1996年 66 巻 8 号 446-449
    発行日: 1996/08/01
    公開日: 2021/06/21
    ジャーナル フリー
  • 泉野 淳子
    心の諸問題論叢
    2009年 4 巻 1 号 17-26
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/07/14
    ジャーナル フリー
    本報告は、約10年前「人間性心理学研究」に投稿して審査を受けた際の体験を一事例としてまとめたものである。その審査のあり方は首を傾げたくなるようなものだった。審査者たちの評価基準は投稿論文審査内規に沿った一貫性あるものとは思われず、一人の審査所見には明白な誤りさえ含まれていた。論文は、戦後日本の教育界や臨床心理学界に多大な影響を与えたC.R.ロジャーズとキリスト教の関係を論じたものであった。その主張はおそらく日本のロジャーリアンの主流の見解に合わないものだったのであろう。ある審査者は内容を理解しかねているようであった。このような過去のことを今になって取り上げる理由の一つは、時間を経たことによって冷静に自分の論文および審査所見を読み、客観的に吟味できるようになったためである。うまく機能しなかった実例を検討することは、審査制度を改善していくためにも大切なことであると考える。
  • 飯野 勝則
    大学図書館研究
    2015年 102 巻 11-21
    発行日: 2015/08/21
    公開日: 2017/10/23
    ジャーナル オープンアクセス

    ウェブスケールディスカバリー(WSD)は多層的なスケール概念を包摂したシステムである。そのスケールには,「実体」と「見かけ」の2種類が存在している。WSDの誕生には,それ以前のブロードキャストサーチや横断検索,ディスカバリーサービスの存在が影響を与えている。WSDにはファセットナビゲーションの主題項目など,利便性を高めることのできる機能が存在するが,一方で「見かけ」のスケールに起因するような課題も存在する。図書館はWSDのスケーラビリティを正しく理解し,利用者にとって適切な提供環境を構築していく必要があるだろう。

  • ――世界初の断種法制定からサンガーの産児調節運動まで――
    貴堂 嘉之
    ジェンダー史学
    2021年 17 巻 5-19
    発行日: 2021/10/20
    公開日: 2022/10/14
    ジャーナル フリー

    19 世紀末にイギリスで産声をあげた優生学は、アメリカ合衆国やドイツ、日本などへと広がった。その過程で、各国で実施された優生断種――弱者に「不適者」の烙印を押し、精管や卵管の結紮・切除などにより生殖能力を奪う行為――はどのようにして始まり、広がっていったのだろうか。近年、優生学に関する研究史では、「不良な子孫の出生を防止する」ための禁絶的優生学(Negative Eugenics)の実践、とりわけ「断種」に関する研究が分厚く蓄積されるようになっている(Stern 2005A; Stern 2005B; Stern 2011; Kline 2001; Largent 2008; Lombardo 2008; Black 2012; 小野2007)。

    本稿では、世界で最初に優生断種を法制化した米国の優生学運動に焦点をあてる。なぜアメリカ中西部のインディアナ州が世界初の断種法を制定し、それはどのようにして全米へと広がっていったのか。「不適者」への断種が実践された歴史の現場と時代背景を検証する。また、優生学者が夢見た「アメリカ」の改良計画とはいかなるものであり、断種の対象とされた「不適者」とはいったい誰だったのか。米国での断種は実際には1980 年前後まで行われ、その総数は6 万件以上となるが、本稿では1907 年から1920 年代頃までの断種手術の開始期に絞って、この断種を推進した医師や優生学者らに焦点をあてて考察する。

    ジェンダー史において優生断種を問うことの意義とは、これが性と生殖に関する女性の自己決定権(リプロダクティブ・ライツ)や、子どもの数を調節するための避妊や中絶といった生殖技術をめぐる問題、「命の選別」をめぐる論争、生殖への国家の介入や人口管理など、再生産領域にかかる現在進行形の問題とつながっているからである(貴堂2010)。優生学の実践は、科学的人種主義とともに20 世紀前半に全盛期を迎え、ナチ・ドイツの優生政策・人種政策への反省から第二次世界大戦後には衰退していったとされる。しかし、実際には本稿で取りあげる米国のような戦勝国では戦後もそれが温存され、GHQ の占領下にあった日本では戦後になって優生断種が開始された。本稿は、最初期の米国における優生断種の歴史を、その担い手や被害者に関するジェンダー視点からの分析を中心に検証するが、この時期は、望まない妊娠に女性が苦しむなか、産む産まないは女性が決めるべきだとマーガレット・サンガーが産児調節運動を開始し、生殖のコントロールをめぐる格闘が開始された時期である。女性解放の立場から運動を開始したサンガーと優生学との交差が、20 世紀初頭の性と生殖をあり方をめぐる政治にどのような影響を与えたのか、その歴史的意義についても考察してみたい。

  • 2言語併用教育を中心として
    本名 信行
    アメリカ研究
    1980年 1980 巻 14 号 39-62
    発行日: 1980/03/25
    公開日: 2010/10/28
    ジャーナル フリー
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