本稿は、コロナ・パンデミックのなかでようやく重要な政治課題として認識され始めた「ケア不足」を端緒に、ケア労働をめぐるフェミニスト経済学による経済学批判に学びつつ、ケア実践をめぐるフェミニスト政治学の可能性、ケア不足をもたらした新自由主義に対抗する拠点について考察する。
女性たちが歴史的に担ってきたケア労働は、資源だけでなく時間の貧困を女性にもたらし、女性たちから政治的交渉力を奪ってきた。他方で、ケア労働に公的な支援をすることは、女性たちをケア労働にさらにとどめおくというパラドクスも生む。ケアの倫理に着目するフェミニストたちは、ケアを必要とする人間の相互依存性から政治学が前提とする人間像・市民像を批判してきた。その批判は、一方ではケアが公正に分配される社会を構想するケア理論と、善きケアを実践する道徳性や人間関係を構想するケアの倫理との密接な連関を生み出してきた。
ケア実践における時間経験に着目することでケアの倫理研究は、「新自由主義的な時間レジーム」への抵抗と、より民主的でケアに満ちた時間レジームの実現を目指し始めたことを明らかにする。
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