1600年頃における音楽様式の転換の中で、装飾技法「ディミニューション」は演奏時に即興されるものから作曲時に楽譜に書かれるものへと変化した。しかし、先行研究は専ら16から17世紀の教本群を扱うことを主とし、16 世紀多声楽曲に萌芽的に見られる「書かれたディミニューション」に光を当てた研究は数が限られている。本稿では、16世紀における「書かれたディミニューション」技法の展開を調査することを目的とし、世紀半ばのマドリガーレ群、特にバルダッサーレ・ドナート(1529–1603)の楽曲に焦点を当てる。
ドナートは、ヴィラールトに師事しヴェネツィアで歌手、教師、作曲家として活動した人物で、1590年からザルリーノの後任として聖マルコ大聖堂の楽長に就任した。彼の伊語作品集は3冊出版されているが、本稿第二節では彼の《四声のマドリガーレ集第二巻》(1568)から、「書かれたディミニューション」が多く用いられる前半6 曲の分析結果が報告される。そこでは、特に6部から成る連作ポリフォニーとなっている第一曲において「書かれたディミニューション」の割合とメンスーラ記号の変化が一致していることに注目した。そこで、続く第三節ではドナートをはじめとするヴィラールトの門弟や影響を受けたとされるヴィラールティアン Willaertian の作品へと視野を広げ、当時マドリガーレというジャンルにおいて新しく導入されたメンスーラ記号であるテンポ・オルディナリオ(C)の使用と「書かれたディミニューション」の書法を検証した。その結果、メンスーラ記号による「書かれたディミニューション」書法の明確な区別が見られ、1540 年代以降のいわゆる「黒色音符 note nere」記譜法の導入が、「書かれたディミニューション」の書法の発展を促進させたことを指摘し、40年代からドナートの楽曲が出版された60年代までの経過を要約することで本稿の結論とした。
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