近年,がん患者の精神的不調が総合病院精神科医療の大きな課題となってきている。特に乳がんは,治療の長期化やホルモン療法の影響などにより精神的不調を呈しやすい代表的がん疾患である。今回,精神腫瘍外来で数年にわたる治療経過となった気分障害の乳がん症例を経験し,ライフイベントを含む経過を報告する同意を得た。本報告では,治療期間中の気分変動と薬物療法の経時変化を総括し,父親のがん死や一人息子の結婚などライフイベントが気分変動に与えた影響についても検討した。また緩和ケア領域における精神療法の意義についても若干の考察を加えた。患者にとって抑うつ症状は,実生活における障害であった。一方で精神的実存的観点からは,父親に庇護される娘から父親を葬送する自立した存在へと成長するための苦悩の過程であったとも評価された。
がん罹患をとおして自らの死を実感した患者を対象とする緩和ケア領域の精神療法には,内的心理的な活性化により患者に日常性を逸脱した選択・行動を促すリスクが存在する。そのリスクに配慮しつつ,患者自身が自らの人生の意義を見出す援助を実現するためには,心理・精神医学的見解を有した客観的立場の専門家であると同時に,治療者も患者同様にいずれ死にゆく存在であることを忘れず主観的にも寄り添える存在であることが重要と考える。
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