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クエリ検索: "ロバート・メイプルソープ"
4件中 1-4の結果を表示しています
  • 登 久希子
    年報カルチュラル・スタディーズ
    2017年 5 巻 119-
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/10/09
    ジャーナル フリー
    1980 年代後半から1990 年代にかけて、文化の多様性が顕在化するアメリカにおいて「ア メリカ的」価値観を巡る社会的かつ政治的な対立としての「文化戦争(Culture Wars)」が激 化した。本稿はそこでいかなる芸術の自由が求められたのか、そして特定の作品を巡って 何が実際に争われていたのかを考察するものである。芸術分野における文化戦争の発端は 一般的にアンドレ・セラーノと
    ロバート
    メイプルソープ
    の作品にさかのぼる。当時、ア メリカの国立機関である全米芸術基金(NEA)は存続の危機にあった。その撤廃を目論む 共和党保守派の政治家たちは宗教右派団体による「冒涜的」な作品の批判を利用し、それ らの作品を支援するNEA を攻撃した。 本稿では文化戦争において保守派の批判を受けた作品について、多様な性的アイデンテ ィティの表象だけではなく、資本主義経済における「もの」の分類が問題となっていた点 を明らかにする。そこで求められる芸術の自由は、ものの存在のあり方にも関わる。まず 第1 節において、メイプルソープの展覧会取りやめとそれに対する抗議行動でみられたふ たつの芸術の自由の言説について考察し、一方が芸術という自律した領域を前提とするも のであり、もう一方は社会に根ざした一市民としてアーティストが持つべき表現の自由を 前提としていた点を確認する。つづいて、セクシュアリティや暴力をテーマにしたパフォ ーマンス・アートを手がけてきたカレン・フィンリーの事例において、個人による表現の 自由の言説がより強調されていく様を追い、フィンリーが公的助成金と芸術の「自由」を どのように関係づけていたのかを確認する。文化戦争において争われた芸術の自由とは主 体の権利としてだけではなく資本主義経済における「もの」の分類をめぐって展開された のだ。
  • ワテレン ヤン・ファン・デル, 中村 節子
    アート・ドキュメンテーション研究
    1994年 3 巻 12-26
    発行日: 1994/03/31
    公開日: 2023/05/01
    ジャーナル オープンアクセス
    In a lecture illustrated with 80 slides Mr. van der Wateren highlighted the development of book art as an important phenomenon in the making of books in the late 20th century. With examples from many countries he showed how books can be works of art in themselves and how this genre predominantly experiments with the traditional format of the book. He linked present examples with experiments earlier this century such as those of Sonia Delaunay and Mallarme. He also pointed out that anxiety about the demise of the book is misplaced since what is happening is the mutation of the printed book and that the book has a very long history before the invention of printing.
  • パティ・スミス論
    當間 麗
    アメリカ研究
    2003年 2003 巻 37 号 177-198
    発行日: 2003/03/25
    公開日: 2010/10/28
    ジャーナル フリー
  • 横尾 千穂
    文化資源学
    2023年 20 巻 25-41
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/07/14
    ジャーナル フリー

    1986年、大浦信行の連作版画作品「遠近を抱えて」に使用された昭和天皇の写真のコラージュに対し、富山県議会で議員が用いた「不快感」という言葉が、議会内容とともに報道され、作品・図録の非公開や作品売却・図録処分など、社会的な関心を集める事態が次々と生じた。これらの事態では、作品評価、表現の自由、芸術文化の制度や公共性のあり方が、議会、市民運動、美術領域、法領域で議論され、現在では「富山県立近代美術館問題」という、表現の自由や検閲の問題として認識されている。

    そのため、これまで同問題が、各領域の内部で共有される情報媒体に依存し議論され、それぞれの言説群の関係性によって形作られてきた点は注目されてこなかった。さらに、各領域の議論を俯瞰して問題の全体像を捉える試みもなかった。そこで本論では、議員の発言が報道される1986年から、大浦と市民団体による裁判が上告棄却される2000年までに発行された、新聞、雑誌、ミニコミ誌、裁判資料等の収集を行い、同問題に対する認識の整理を行った。その上で、各領域で行われた議論の関係性から、同問題の全体像を再構成するとともに課題を示した。

    まず同問題では、天皇の肖像権、表現の自由、美術の専門性といった観点が、議会の作品評価をめぐる議論に登場し、同問題を規定する観点を形成した。さらに、事態が生じるたびに、作品の表現内容、作品への措置、社会状況が、要因や要求として主張された。しかし裁判を機に、当事者ごとの立場が明確になり、問題はむしろ膠着状態を強めていった。同問題では、各領域の常識的な解釈に、関係する他領域の見解との摩擦が生じることで、各領域の専門的・経験的な妥当性が高まっていった。また、大浦作品は評価の是非に関わらず、ある逸脱性が確認されることでしか記述されてこなかった。同問題の課題とは、こうした複雑な議論の関係性に与しながら、それぞれの言説群の内側で問題を解決しようとすることで、慢性的な議論が続いていることである。

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