現在、英語圏の人類学において「ポスト関係論」と呼ばれる一連の議論が次第に潮流化しつつある。そこでは、人類学者が関わりあいやつながりに注目するあまり、フィールドの中の「つながりたくてもつながれない人々」、「つながりをあえて拒否しようとするふるまい」が見えにくくなっていること、主題化されなくなっていることが問題化されている。確かに音楽に関する人類学的研究においても、音楽を「他者とつながるため」のものとして捉え、そのつながりを肯定的なものとして価値づける傾向が存在してきた。本稿では、こうした「関係論的」な音楽観にあえて抗して、「他者に抗する音楽」、「うまくひとりになるための音楽」という音楽観を提示することを目的とする。具体的には、ボリビア・フォルクローレ音楽の事例を取りあげ、2人の音楽家のライフヒストリーを通じて、そこに音楽に関する固有の思考を取り出すことを試みる。2人の音楽家は、いずれもフォルクローレ音楽の黎明期に活躍したものの、時代の流れの中で次第に没落し、再起を図る音楽家である。本稿では、彼らがいかにボリビアの親族関係や、同業者関係、時代に抗い続けてきたか、それがボリビアにおける力としての音楽観といかに重なっているかを示しつつ、その思考を孤独の希求というテーマのもとで論じる。
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