大井川は東海道の荒れ川として知られ,上古以来平野地帯の人々は,洪水や流路の変遷に苦しみ,わずかに小規模な堤防などによつて,これに対抗しただけであつた.従つて付近の東海道やこれに沿う宿駅も変遷せざるをえなかつた.筆者は多くの紀行文や古文書によつて往古の東海道の変遷と宿駅の興亡とを探究した.徳川時代になると幕府はこれを政治上に利用して,架橋と舟運を禁止したので,東海道の旅行者はもちろん,上流山村の人々は舟運を奪われて困惑したが,一方には陸路の開発に力を用い,壮年山地に峠越しの交通路を開くことができた.明治以後大井川はようやく政治的に解放されて自然の川となり,同地域は舟運,鉄道,自動車などによつて交通が開け,電源開発とともに科学によつて征服された現状を見るに至つた.筆者はこれらの変化を自然環境から眺めることはもちろんであるが,徳川期以後においては,ブラーシュの持論,政治的・社会的環境が,いかに人々の生活に重圧を加えていたかを見たいと思うのである.
抄録全体を表示