本研究は、京畿と東国とを結ぶ幹線道路であった東山道をとりあげ、古代から近世を通じて、どのような役割を果たしてきたかを時代毎に明らかにすると共に、それに伴って、地方の地域社会発展にどのような影響を及ぼしたかを、東山道の経路に位置した栃木県足利市を例として考察したものである。
今回はその第3報 (終報) として江戸時代をとりあげたが、この時代は、江戸に幕府が開かれたことにより江戸を中心に交通網が再編され、東山道は、その中ほどを踏襲した中山道として京畿と江戸を結ぶ幹線道路となったのである。本稿では、この中山道の機能を (1) 参勤交代による30家大名の通行路、(1) 日光例幣使の回路、(3) 公的荷物の運搬路として各々詳述すると共に、当時の足利について述べた。
又、本研究の終報として、古代から近世までの東山道の機能と足利の発展のあらましについての総括を行った。
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