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クエリ検索: "佐野周二"
10件中 1-10の結果を表示しています
  • 林 恵美子, 若林 綾, 五味渕 典嗣
    人間生活文化研究
    2014年 2014 巻 24 号 22-24
    発行日: 2014/01/01
    公開日: 2014/03/13
    ジャーナル フリー
    平成25年2月8日,人間生活文化研究所大学院生共同研究プロジェクト「近代日本文学におけるイメージと文学の関わりについての研究」は,研究成果を報告するワークショップを開催した.「文学」と「イメージ」が取り結ぶさまざまな関係性をめぐって,「文学」と挿絵,「文学」と演劇,「文学」と映画に着目した三つの報告とディスカッションが行われた.
  • 中村 修
    日本風工学会誌
    2013年 38 巻 1 号 1-2
    発行日: 2013/01/31
    公開日: 2013/04/30
    ジャーナル フリー
  • 「日本映画史をやり直す」新しい批評の実践
    溝渕 久美子
    日本映画学会会報
    2023年 68 巻 22-25
    発行日: 2023/03/31
    公開日: 2024/03/25
    解説誌・一般情報誌 フリー
  • ―(株)三越の通信販売
    五十嵐 信夫
    マーケティングジャーナル
    1988年 8 巻 1 号 56-59
    発行日: 1988/06/24
    公開日: 2024/03/30
    ジャーナル フリー
  • 藤田 奈比古
    映像学
    2021年 105 巻 46-66
    発行日: 2021/01/25
    公開日: 2021/02/25
    ジャーナル フリー

    映画監督内田吐夢(1898-1970)は歌舞伎および浄瑠璃を原作とした時代劇映画を4本手がけ、それらは「古典芸能四部作」として知られている。本論文は、その一作目であり近松門左衛門の浄瑠璃を原作とする『暴れん坊街道』(1957年)を取り上げ、企画の成立過程と作品分析を行う。

    第1節では、まず敗戦後、民族主義的な言説を背景に左派的な近松の読み直しと、近松作品の映画化が進んだことについて概観する。そして内田吐夢が敗戦後満州(中国東北部)滞在において伝統芸能への郷愁を核に民族意識を変化させたことを明らかにし、左派映画人を交えて『暴れん坊街道』の企画が練られた過程を複数の台本の検討を通して論じる。

    第2節では、当時国文学および歴史学の分野で盛んになった封建制批判の観点からの近松解釈に沿うようにして、本作における登場人物の身分の剥奪が、自己同一性と深く関わる「名前」の与奪によって描かれ、身分の異なる者たちが街道という空間で出会い、関係しあうことを論じる。

    第3節では、原作の見せ場である「重の井子別れ」を含む二つの愁嘆場が、メロドラマ的な要素に満たされ、感情の抑圧と情動の爆発を伴いながら、感情的な同一化よりもむしろ人物たちの置かれた状況への知覚に観客を向けるものとして演出されていることを明らかにする。

  • 具 珉婀
    映像学
    2024年 111 巻 218-237
    発行日: 2024/02/25
    公開日: 2024/03/25
    ジャーナル フリー

    「日本映画界きっての抒情監督」と評される木下惠介の映画音楽は、メロドラマにおける巧みな音楽の使用と、それがもたらす絶大な効果に焦点が当てられる傾向があった。ところが『お嬢さん乾杯』(1949年)と『遠い雲』(1955年)には、いくつかのシーンにおいて複数の音楽が重なって不協和音を生み出す瞬間がある。さらに注目すべきは、両作品とも「石津圭三」という名の男性が主人公として登場するだけでなく、前者のラストで東京から故郷へ旅立った圭三が、後者の冒頭で故郷に帰ってくるという一種の連続性が見出せることだ。そこで本稿は、2作品をインターテクスト的に分析することで、両作品を貫通するモチーフに映画音楽を接続させることを目標とする。

    そのためにまず、2作品から「実らない恋をする男」という共通のモチーフを見出し、そのうえで複数の音楽が重なるという過剰性に着目してテクスト分析を行う。これらの作品において音楽は、ヒロインの欲望が物語の進行役となる映画のなかで、物語の直線的進行に逆らおうとする圭三の衝動を画面に刻印し(『お嬢さん乾杯』)、失われた善き過去へ回帰しようとする圭三の欲望を前景化する(『遠い雲』)。以上の分析により、女性の欲望に照準をあわせたロマンチック・コメディとメロドラマの形をとる2作品において、映画音楽が男性の欲望に結びつけられ、物語叙述が行う表面的な意味づけに吸収されない痕跡を残すことを明らかにする。

  • ─日本映画に見られる起居様式と家具に関する研究(1)
    石村 眞一
    デザイン学研究
    2015年 62 巻 4 号 4_25-4_34
    発行日: 2015/11/30
    公開日: 2016/04/15
    ジャーナル フリー
     鋼管製カンチレバー構造の椅子は,ヨーロッパで1927 年に開発され,日本では1931 年あたりから国産製品が販売されている。ところが,使用実態を示す資料が少ないことから,本論では初期の使用実態を戦前期の映画に求め,その特徴を考察することを目的とした。調査の結果,次のことが明らかになった。①1932年あたりから東京の都心で使用され始めた初期の鋼管製カンチレバーの椅子は,映画には一切登場しない。②映画に初めて鋼管製カンチレバーの椅子が登場するのは1935 年で,1938年まで9作品の中に見られる。③鋼管製カンチレバーの椅子は,自宅で使用する場面と,商品の売り場,ホテルのラウンジ,ダンスホール,医院の待合室といったパブリックスペースで使用する場合とがある。④使用者の階層は特に富裕層とは限らず,ヨーロッパから発信されたモダニズムを,上手に日本社会へ取り込んでいる。鋼管製カンチレバーの椅子の使用を通して,日本の戦前期におけるモダニズムの一端を垣間見ることができる。
  • 石村 眞一
    生活学論叢
    2017年 32 巻 16-29
    発行日: 2017年
    公開日: 2021/05/14
    ジャーナル フリー

    This research explores the use of Cantilever chairs as seen in Japanese films between 1945 and 1952. These chairs were used in 19 out of 107 selected films. Several conclusions may be drawn from a comparison of the types of chairs and the scenes in which they were used in, in their respective films during World War II: 1) Two films in 1946 and 1947 depict scenes featuring Cantilever chairs in pre-war and wartime periods. 2) One may conjecture that the Cantilever chairs used in films after 1947 ware manufactured after the war; however, bamboo plywood chairs emulating pre-war design appeared more frequently than expected in post-war films. 3) When compared to films from the pre-war period, the chairs are mostly depicted in scenes within commercial establishments, especially downtown entertainment venues such as cabaret clubs and dance halls. There is, however, just one instance of the use of Cantilever chairs in wealthy family’s private residence. 4) The use of Cantilever chairs in films reached its peak in 1949 and subsequently dwindled. From this information, we can surmise that the pre-war sense of modernism prevailed until around the 1950s.

  • 河野 真理江
    映像学
    2011年 87 巻 24-43,92-93
    発行日: 2011/11/25
    公開日: 2023/03/31
    ジャーナル フリー

    UEHARA Ken (1909-1991) was the star who made a spectacular appearance in the woman’s film (josei-eiga) produced at the prewar Shochiku-Ofuna studio. It is, thus, often considered that Uehara, as a Shochiku-Ofuna star, performed a typical male role of nimaime, a kabuki character implying the refined young lover in classical Japanese cinema. His star image is, however, apparently different from a traditional masculine figure in the kabuki and the jidaigeki.

    It is usually mentioned that classical Hollywood cinema had influenced Japanese cinema at various moments during the period of the 1910s to the 1930s. Japanese film melodrama, whose origin was in foreign, had to be transformed to one of domestic genres in Japanese mainstream cinema. In this aspect, Uehara should be reexamined as a star who was born as the first typical hero of domestic melodrama in Japan.

    From a view point of film genre theories and star studies, this paper investigates Uehara and his star persona. The main purpose of this study is to explore critical questions of female spectatorship and possibilities of women’s visual pleasure. Finally, it demonstrates that the woman’s film starring Uehara Ken is one of the prototypes of melodrama in Japanese cinema of the 1930s.

  • 自生音の発現
    宮田 章
    放送研究と調査
    2024年 74 巻 2 号 60-77
    発行日: 2024/02/01
    公開日: 2024/02/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
    日本のテレビドキュメンタリーの基礎を築いたとされる『日本の素顔』(NHK、1957~64)の制作技法の変遷を描く第6回目の後編である。先月号に掲載した前編に続いて『素顔』最後の2年間となった62~63年度の展開を分析し考察する。『素顔』末期に特筆すべき技法が生まれている。それは、情動的強度に秀でた映像と自生音を用いた、「その時その場」の「リアル」な描写である。「問題」について論じるテレビドキュメンタリーから、「問題」を超えて取材対象を活写するテレビドキュメンタリーへ、この技法変化を支える音声形式として、ナレーションやインタビューではなく、自生音が自己を主張し始めている。『素顔』末期のテクストに自生音を生み出す技法を見いだすとともに、この技法が『素顔』終了後の新たなドキュメンタリー番組『ある人生』に継承されたことを示す。
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