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クエリ検索: "北越戦争"
8件中 1-8の結果を表示しています
  • 本間 智之
    まてりあ
    2023年 62 巻 8 号 541-544
    発行日: 2023/08/01
    公開日: 2023/08/01
    ジャーナル 認証あり
  • 南北戦争から戊辰戦争へ
    布施 将夫
    国際言語文化学会日本学研究
    2023年 8 巻 17-32
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/04/17
    ジャーナル オープンアクセス
    This article tries to examine global weapons trade between the United States and Japan in the late 1860s. The first half of it, Chapter 1, introduces Japanese recent studies and explains the kinds and numbers of western style rifles brought into Japan in the Meiji Restoration. The second half, Chapter 2, considers a German recent Japanology (Japanologie), “The Global Weapons Trade and the Meiji Restoration: Dispersion of Means of Violence in a World of Emerging Nation-States” written by Harald Fuess. As a result of it, Chap. 2 unravels a part of the flow of western arms within Japan at that time. The remaining subject is to unravel the whole picture of global arms transfer flows and to bridge the gap between global history and national histories.
  • 鷲尾 貞一
    農業土木学会誌
    1982年 50 巻 7 号 577-580,a1
    発行日: 1982/07/01
    公開日: 2011/08/11
    ジャーナル フリー
    西蒲原平野は, 信濃川が魚沼台地末端の標高40mから33kmで12m地点へ流下する水衝部を頂点とするので, 洪水ごとに破堤災害を繰返した。その水衝部から海岸山地を切り開き, 日本海へ過水を切落すことは, 蒲原平野全体, なかんずく西蒲原平野の長い間の願望であった。1922年この完成通水をみてから60年, この信濃川改修を軸に用水河川に変革されてゆく西蒲原諸川の変化と, 低平かつ微高差の多いこの地域の水利構成の過程を報告する。
  • 金 夆洙, 宮崎 清, 鈴木 直人
    デザイン学研究
    2010年 57 巻 3 号 107-114
    発行日: 2010/09/30
    公開日: 2017/06/24
    ジャーナル フリー
    かつて、商家をはじめ、山村・漁村などにおいて広く用いられてきた「家印」などの日本の伝統的な「しるし(印)」は、きわめて重要な生活文化・地域資源のひとつである。しかしながら、今日では、一部の老舗・旧家などで継承されているに過ぎず、他の多くの伝統文化と同様、急速に消失しつつある。本調査・研究は、「醸造の町」として知られる新潟県長岡市摂田屋地域を代表する老舗6社を対象に取り上げ、文献調査・現地調査に基づき、多様な形で存在した家印(商標)・屋号の特質を把握するとともに、その将来のより望ましいあり方を考察することを目的とした。調査・考察の結果、各社がもっている家印(商標)・屋号は摂田屋地域、および各社の特徴を表すアイデンティティー形成の重要な要素であることが判明した。また、現在、古い家印は存在するもののあまり活用されなくなっており、それらの今日的価値を再認識し、各社が伝統のしるし、文化の継承の大切さ、今日の地域づくりのニーズに対応するその活用の重要性などを認織した一連のデザイン提案を示すことができた。
  • 柳沢 芙美子
    福井県文書館研究紀要
    2010年 7 巻 65-78
    発行日: 2010/03/26
    公開日: 2024/04/19
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • 史料および明治前期地歴教科書の分析
    米地 文夫
    季刊地理学
    1995年 47 巻 4 号 267-284
    発行日: 1995/12/15
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
    明確な地名としての「東北」の初出を, 岩本 (1989など) は慶応4年7月の木戸孝允の建議書をその初現であるとし, 難波 (1993) は同年閏4月から太政官日記にみられるとしたが, 筆者は同年正月の久保田 (秋田) 藩主への内勅や, 2月の仙台藩主からの建白書に, 「東北」の語があることを見いだした。
    岩本は「東北」を「東夷北秋」を約めたもので, 勝者が敗者に押し付けた地名とした。しかし「東夷北秋」の略は「夷秋」で, 当時は欧米を意味していた。また朝廷側が味方の秋田藩を「東北の雄鎮」と呼んだり, 奥羽側でも自らをも含めて「東北列藩」と呼んだりしており,「東北」に蔑視的な意味は無かった。この「東北」は, 東海, 東山, 北陸の三道全体, すなわち東日本の意味で, 現東北6~7県地域を指すものではなかった。明治初年のこの広義の「東北」は当時の歴史教科書にはみられるが, 地理教科書にはほとんど登場しなかった。
  • 渡邊 義行
    教育医学
    2006年 52 巻 2 号 101-118
    発行日: 2006年
    公開日: 2021/10/30
    ジャーナル オープンアクセス
    1999年(平成11年)改訂の小・中・高等学校の体育・保健体育の学習指導要領1)2)3)では,「集団行動の指導は,運動の特性との関連において適切に行う」こととしている.すなわち,集団行動の時間を特別に設けて指導するのではなく,各運動領域の運動の特性に応じて適切に指導するとか,あるいは特別活動の学校行事等の機会に集団指導を行うこととしている.  学校における集団行動とは,集合,整とん,列の増減などの行動をいい,その行動の仕方は色々な機会をとらえて指導しようとするものである.  児童生徒の集団を集合させたら,先ず最初に発する号令は「気をつけ」であり,「気をつけ」の姿勢を指導するであろう.一方,社会人になって「気をつけ」の号令を受けることは全く無いといってよい.しかしながら学校において教師は,極めて普通に,何の戸惑いや抵抗もなく「気をつけ」という号令を発し,児童生徒はその号令を受けている.  この度,日本における「気をつけ」号令と「気をつけ」姿勢にこだわって,その歴史を若干の資料からたどってみたいと思う.
  • 奈倉 哲三
    山陽論叢
    1994年 1 巻 84-68
    発行日: 1994年
    公開日: 2018/11/28
    ジャーナル オープンアクセス
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