河川史の視点からみるならば,江戸・東京の都市形成は巧みな隅田川の治水策と物資輸送路としての隅田川とそれに連なる支川や堀に負うところが大きい。隅田川は江戸・東京の都市機能を支えるとともに,いわゆる江戸文化を育み,沿岸住民に憩いの場を与えた。しかし,江戸・東京の母なる川として住民から親しまれてきた隅田川も,昭和30~40年代には水質の悪化と防潮堤事業の進行に伴って,埋立てが議論されるほどに市民生活から極端に疎外されてしまった。水質改善の努力が実り始めた50年代以降,隅田川再生への動きが活発となる。そこには沿岸住民コミュニティの活躍と住民の期待を受けた行政とが一体となって隅田川再生への試みを展開している姿を見ることができる。しかし,隅田川再生の道程はまだ遠く,日常生活の中での隅田川との親密な関係を結ぶまでには至っていない。隅田川がこれからも隅田川らしさを失わないためには,川と住民の係わりの歴史としての沿岸住民史の把握が大切であり,隅田川をいかに蘇らせるか,その間に対する答えは沿岸住民史を紐解くことによって得られるものと考えられる。
抄録全体を表示