本稿は,近代日本における官僚の選抜・配分構造を,東大席次・高文席次に着目しながら検討したうえで,昭和期の官僚機構について考察するものである。
高文体制というべき官僚選抜システムが成立して以降,成績上位層を引きつけた内務省は就職先序列構造において頂点に位置したが,大正期以降になると人材が各省に分散し威信が低下していく。この動きと並行的に,各省の要職に占める内務出身者の割合が減少するという配分面での変化も生じ,人事の自律化が定着した。各省は「位負けしない」生え抜き官僚を有することになったのである。
脱内務省化は非内務官僚の「専門性」意識を醸成した。これにより,各省の「専門性」と内務省の「総合行政」志向との間に葛藤関係が生じ,専門分業化の潮流のなかで専門官僚が主流となっていく。こうして内務省の優位性は選抜,配分,行政機能という三つの面で弱化し,同省を中心に安定が保たれてきた官僚機構の秩序(「内務省による平和」)は動揺した。各省割拠の時代が到来するのである。
セクショナリズムにより官僚集団の一体性は解体へと向かい,軍部に対抗しうる勢力にはなりえなくなったと考えられる。これを敗戦にまでつながる流れとみるならば,両席次と密接に結びついた「官僚の選抜・配分構造」の変容は,それを不可逆的に加速化させる要因の一つとして作動していた,といえよう。
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