本稿では、満洲事変以後に展開された日本の
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による「民間外交」を分析し、当該期における対中経済外交の変容の一端を明らかにする。具体的には1930年代の南京国民政府による対日関税改定を受けた日本人
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の運動に着目し、その認識と行動を日本外務省による政策との関連を踏まえて検討した。
1933年5月に宋子文財政部長の主導で対日関税が引き上げられると、日中貿易における地位の低下に直面していた上海に拠点を置く日本人
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は危機意識を強めた。彼らは中国問題に関する有力経済団体である日華実業協会と協力しつつ、「浙江財閥」との提携を進めることで、苦境を乗り越えようとした。他方、日中の政府間交渉の行き詰まりに直面していた日本外務省も、浙江財閥が国民政府に与える影響力に期待し、民間の経済提携に期待を寄せた。以上の動きは日中の
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団体である日華・中日貿易協会の設立(1936年2月)に結実し、翌年にかけて両者の人脈を利用した日中関税交渉が実現した。同時期に日本の華北分離工作が進展してゆくと、英国が提示した宥和策に親和的な姿勢を示す協会と、日中提携を重視した外務省との立場の差異も明らかとなったが、外務省の方針に沿うかたちで交渉は行われた。
以上のように、満洲事変以後、日本人
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による対中外交への関与のあり様は変容をとげていった。日華・中日貿易協会の中心となった
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層は、華中における経済活動の再興を目指した組織・政策の構築を進めてゆき、政府間交渉の行き詰まりに直面していた外務省は、政策的な相違をはらみつつも、その活動を外交手段のひとつとして位置付けるようになったのである。
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