本稿では、横光利一『上海』における「芳秋蘭」のモデルを検証したうえで、そういった女性像の真実性と虚構性について考察を行った。今まで虚構性の強い架空人物だと思われてきた「芳秋蘭」は芥川龍之介が描出した中国女性像を原点として、「五・三〇運動」に大いに貢献した中国の女性党員楊之華、鐘復光の経歴に基づいて造形された人物像だと結論付けた。また、『上海』決定版にある「芳秋蘭」のスパイ性の増幅が蒋介石の反共クーデターの後で白熱化したスパイ戦と呼応しているものと思われる。一方で、革命者「芳秋蘭」の恋愛描写に非合理性があるものの、それはプロレタリア文学に定着した「恋愛と革命」の図式化への横光利一のアンチテーゼとも読み取れる。
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