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クエリ検索: "奈良線"
223件中 1-20の結果を表示しています
  • 養父 志乃夫, 山田 宏之, 中島 敦司, 中尾 史郎, 松本 勝正
    ランドスケープ研究
    2000年 64 巻 5 号 595-600
    発行日: 2001/03/30
    公開日: 2011/07/19
    ジャーナル フリー
    大阪府大阪市から東大阪市にかけての近鉄
    奈良線
    沿線部において, バッタ類の生息密度の変化を調査した0調査区としては, 近鉄
    奈良線
    の各駅を中心とした半径250m円の調査区を12カ所, 半径1km半円の調査区を5カ所設定した。調査は2000年8月から9月にかけて行い, 一般に人の立ち入ることのできる接道部の緑地と公園緑地を対象に, 全バッタ類を捕虫網で捕獲する方法で行った。その結果, 都心部からの距離が離れるに従って単位面積あたりの捕獲数は指数関数的に増加すること, 緑地の規模や草地組成とバッタ類捕獲数は相関を持たないことなどが明らかとなった。また, 都市環境への適応性の大きいバッタ種も特定された。
  • 北畠 潤一
    地理学評論
    1981年 54 巻 8 号 437-447
    発行日: 1981/08/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    以上述べた所を要約すると,次の事実が明らかになった.
    1. 最初,住宅地化は丘陵の中部以南で著しく,近鉄
    奈良線
    沿線とそれに交差する十字型を核として面的開発が急進した.同時に,南東・南西部でも緩慢な点的開発がおきた.中期は中・北東部で急速に,そして後期には中部の南端と西寄りの地域にも開発前線が延びていった.その間,住宅地はまず量的に増大し,住宅は高級化し,近代的で美しいものとなった.山麓線も北西部を除く全域が住宅地化した.
    2. 奈良盆地の北西部丘陵の人口は4倍に膨張し,3万余世帯,10数万を擁する大住宅地域が形成された.新住宅地は初め鉄道に強く依存した.そして,次第に最寄駅との間の時間距離を増大し,地域的に拡散した.しかし,新住宅地が完成に近づき,人口が増すと道路は改修され,バス路線の延長・増発も実現し,約半数近くの新住宅地は最寄駅と9分以内で結ぼれたが,奈良市内の一部には14分程度,その他ごく少数だけ20分以内の地域が残っている.
    3. 新住宅地の小地形的環境をみれば,丘陵北部は中・南部より起伏量・谷密度が大であり,海抜高度は低く,日陰斜面が卓越する.そのことが鉄道沿線にもかかわらず北部の開発を遅らせた一因であろう.中部の海抜高度は大であり,起伏量は小で,谷密度は中位,そして日向斜面に恵まれている.加えて大阪との近接性が強く,戦前から点的開発がみられた.南部は起伏量・谷密度が小で日向斜面も多い.しかし,大阪,京都,旧奈良市街地へは乗り換えを要し,また付近は近郊園芸農業地域であり,地価も高く,中部ほどの住宅地化をみなかった.
    4. 総じて,初期の開発前線は海抜高度が高く,起伏量・谷密度の小さい日向斜面に延びた.しかし,中期以後は海抜高度が低く,起伏量・谷密度の大きい日陰斜面にも波及した.奈良盆地の北西部丘陵における住宅地化は大資本と進歩した工法でなされたが,小地形的環境は造成の比較的容易な地域で始まり,次第に困難性の多い地域へと進んでいった.
  • 天野 光三, 前田 泰敬, 二十軒 起夫
    日本土木史研究発表会論文集
    1984年 4 巻 115-124
    発行日: 1984/06/25
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    大阪都市圏の鉄道網の発達が、都市の発展過程と、どのような関係を持ちながら変化してきたか、また、鉄道開設に至るまで、その地域の交通事情はどうであったか、さらに、鉄道路線が計画された経緯等を調べ、鉄道開通前後より、現在に至るまでの市街地の発展情況を把握し、過去から未来に向って、時系列の中で考察し、新規路線の都市に与える効果の予測に利用出来ればと考えるところである。今回の発表は、そのうちの一部分として、比較的鉄道路線の競合性の少ない、東大阪地域での鉄道と都市の発展の関係を調査したものであり、不十分な資料ではあるが、一応この地域の交通慕情と歴史的背景を知ることができた。この地域の昔からの主要陸上交通は、大阪対奈良であり、大阪に陸揚げされた物資や、河内地方の産物を大和へ、また、大和の産物を大阪へと輸送する通路として、東西方向の道路が、古来より幾條にも開かれていた。南北の交通路は、大和川と淀川を結ぶ古くからの中小河川と、東高野街道など、生駒山麓に沿った街道がある。明治以降も東西方向の鉄道が先に開設され、南北を結ぶ鉄道は今だに実現していないが、これに代わるものとして、南北方向には、道路網が発展し、鉄道の補間的な役割をしている。
  • 中井 実
    鋳物
    1961年 33 巻 5 号 336-339
    発行日: 1961/05/25
    公開日: 2012/10/29
    ジャーナル フリー
      It has often been recognized that the wear of cast iron brake shoes for railway cars is rather increased in summer comparing with the wear in winter.
      There is no statistical report, on the difference of wear of brake shoes in each season. Therefore, we have investigated the difference of wear of brake shoes in each season by statistical method, refering to the data of the Kinki Nippon Railway Co. Ltd. obtained in these two years.
      Through this investigation, it has become clear that the wear of brake shoes in summer is much comparing with that in winter.
      And it seems that the difference is due to the temperature and the humidity.
  • 2005年5月25日(水) 奈良県新公会堂
    日本化学会情報化学部会誌
    2005年 23 巻 1 号 51
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/03/09
    ジャーナル フリー
  • 渡邊 太
    宗教と社会
    2012年 18 巻 113-114
    発行日: 2012/06/16
    公開日: 2017/07/18
    ジャーナル フリー
  • 環境技術
    2004年 33 巻 9 号 712-714
    発行日: 2004/09/20
    公開日: 2010/03/18
    ジャーナル フリー
  • 矢島 秀治, 内田 裕市, 六郷 恵哲, 北園 茂喜, 市川 篤司
    土木学会論文集A
    2006年 62 巻 1 号 53-67
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/01/20
    ジャーナル フリー
     SRC床版を有する鋼鉄道下路トラス橋は,床組高さを低減できる等の長所がある.その一方で,主構による床版の拘束など,床版の力学挙動が必ずしも明確になっていない面がある.そのため,筆者らは大型模型供試体を用いた載荷実験および乾燥収縮実験を実施し,それらの知見に基づき,実際にSRC床版を有する3径間連続鋼下路トラス橋を建設した.
     本研究は,上記トラス橋各部材の応力・ひずみ等を測定するとともに,床版のひび割れを考慮した解析により,下弦材,横桁,床版等の力学挙動を明らかにした.また,それらの結果をもとに,簡便かつ実務的な設計手法の提案を行った.
  • 溝口 敦司, 井上 淳太
    交通・物流部門大会講演論文集
    2009年 2009.18 巻 1313
    発行日: 2009/12/02
    公開日: 2017/06/19
    会議録・要旨集 フリー
    To prevent such dangerous situations, as the workers on the track are exposed to the risk of being hit by an oncoming train, JR West has developed and implemented a GPS-linked train approach alarm system and put it in practice. Under this system, each train lookout carries two mobile phones that automatically measure their position through the Global Positioning System (GPS). The phones trigger a train approach alarm attached to them if a train is detected on the track circuit specified in advance for each work site.
  • *石原 肇
    日本地理学会発表要旨集
    2020年 2020s 巻 402
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    1.背景と目的

    夏季オリンピックやサッカーワールドカップと並ぶ国際的メガスポーツイベントであるラグビーワールドカップが2019年にアジアで初めて日本で開催された。12開催都市の1つが花園ラグビー場のある「ラグビーのまち」大阪府東大阪市である。筆者は、これまで東大阪市の3地域で行われている地域活性化策であるバルイベントについて、それらの運営方法を比較し報告した(石原、2019)。本稿では、国際的メガスポーツイベントであるラグビーワールドカップ2019の開催を機に、花園ラグビー場のある「ラグビーのまち」東大阪市で行われた「東大阪ラグビーバル」について、開催されるに至る経過、実際の運営状況を把握することを目的とする。

    2.研究対象地域と研究方法

    東大阪市は、大阪府中河内地域に位置する市である。市域の面積は61.81㎢、人口は502,784人(2015年国勢調査)であり、大阪市および堺市の両政令指定都市に次ぐ府内第3位の人口を擁する中核市である。東大阪市は、日本有数の中小企業の密集地であり、高い技術を持った零細工場が多数集まっている。また、花園ラグビー場のある「ラグビーのまち」としてアピールする形でまちづくりが行われている。

    まず、「東大阪ラグビーバル」の開催に至る経過については「布施えびすバル」の実行委員長に、運営の状況については「なのはなバル」の事務局を務める特定非営利活動法人週刊ひがしおおさかの代表にそれぞれヒアリングを行った。また、「東大阪ラグビーバル」の開催に前後して「長瀬酒バル」と「なのはなバル」が実施されている。「長瀬酒バル」の状況については長瀬酒バル初代実行委員長に、「なのはなバル」の状況については前出の代表にヒアリングを行った。

    3.結果と考察

    東大阪市でバルイベントを行っていた3地域では、ラグビーワールドカップの開催に合わせたバルイベントの開催を東大阪市に働きかけ、同市全域で「東大阪ラグビーバル」が開催されるに至った。市内全域で開催できたのは、第1に、これまで「布施えびすバル」「なのはなバル」「長瀬酒バル」といった個々の地域でバルイベントを継続開催してきたことで、「東大阪ラグビーバル」を実施する基盤ができていたと考えられる。通常は別々の運営方法でバルイベントを実施しているが、関係者間で調整し、統一の方法がとられた。実質的な事務局機能を「なのはなバル」の経験者が担ったことが大きいと考えられる。第2に、ラグビーワールドカップ2019の試合を観に来た滞在期間の短い市外からの来訪者には「東大阪ラグビーバル」の開催自体が十分浸透していなかったと思われる点がある。花園ラグビー場の最寄り駅である近鉄

    奈良線
    の東花園駅界隈で「東大阪ラグビーバル」に参画した店舗は極めて少ない。このため、東大阪市内の他のエリアに立ち寄る機会がなければ、「東大阪ラグビーバル」の開催が気付かれにくい。一方、東大阪市民にとっては、約40日間という「東大阪ラグビーバル」の開催期間に参加飲食店を利用できる機会があり、利用価値があったと思われる。第3に、東大阪市の市域面積が広く、近鉄
    奈良線
    沿線の地域とそれ以外の地域では、「東大阪ラグビーバル」の利用者に差異があったことが、今後の課題としてあげられていることである。これは、花園ラグビー場との行き来のしやすさが影響している可能性がある。

    4.まとめ

    今回の「東大阪ラグビーバル」の開催は、今後改善すべき課題はあるものの、ラグビーワールドカップというメガスポーツイベントの開催に合わせてバルイベントという地域活性化策を市内全域で実施したことそのものに意義がある。市内の個々の地域でのバルイベント開催からでは得られない市内全域でのバルイベントの取組みという新たな実績といえよう。また、今回の実施により市内全域での参加飲食店の横の繋がりが形成される契機ともなっている。バルイベントのみならず、今後、市内全域という広域での地域活性化策を展開する上で参考となる取組みであったといえよう。さらに、2020年に開催される国際的メガスポーツイベントである東京オリンピック開催に係る都市における地域でのイベントの取組み等の参考にもなるであろう。

  • 柴田 正美
    図書館界
    2002年 53 巻 5 号 504-505
    発行日: 2002/01/01
    公開日: 2017/05/24
    ジャーナル フリー
  • 旧・関西鉄道をめぐって
    小野田 滋
    日本土木史研究発表会論文集
    1988年 8 巻 113-124
    発行日: 1988/06/20
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    This paper describes a history and present state of railway tunnels, based on field surveys and histrical records, taking an example of former Kansei Railway Company (now JR-Kansai main line and its branches). Through this case study, it became clear that the tunnels have been bored to various inside shape and some of them have portals by special individual designs.
  • 谷口 哲夫
    都市計画論文集
    1972年 7 巻 63-68
    発行日: 1972/10/25
    公開日: 2020/11/01
    ジャーナル オープンアクセス
  • 巽 清
    蝶と蛾
    1960年 11 巻 3 号 47-
    発行日: 1960/11/20
    公開日: 2017/08/10
    ジャーナル フリー
  • 小方 登, 稲垣 稜
    都市地理学
    2009年 4 巻 20-27
    発行日: 2009/03/15
    公開日: 2020/04/08
    ジャーナル フリー

    本稿では,現代日本の大都市圏周辺部における都市化の物理的実態を明らかにするために,多時点の衛星画像を利用する試みを紹介する.対象地域として大阪大都市圏の周辺に位置する京阪奈丘陵地域を取り上げ, 1978 年,1989 年,2000 年の3時点のLANDSAT 画像データを利用した.まず植生の変化を明らかにするために,正規化差分植生指標(NDVI)の分布を検討した.次に3時点の赤色バンド画像を青・緑・赤の3つのチャンネルに充てて合成カラー画像とし,京阪奈丘陵における段階的な都市化過程を物理的側面から可視化して示した.さらに人口増減データと比較しつつ,色で強調された各時点における宅地造成が,日本住宅公団(現都市再生機構)や民間業者・学校法人による開発行為であることを確認した.結論として,多時点衛星画像の利用が都市圏レベルでの包括的な土地利用/被覆変化を明らかにする有効なデータソースとなりうることを立証した.

  • ―近畿圏を対象として―
    *上村 要司
    人文地理学会大会 研究発表要旨
    2017年 2017 巻 111
    発行日: 2017年
    公開日: 2020/06/13
    会議録・要旨集 オープンアクセス
  • 鈴木 明哲
    スポーツ史研究
    1998年 11 巻 17-31
    発行日: 1998/01/01
    公開日: 2017/03/18
    ジャーナル フリー
    Hokorensyu of the elementary school attached to Nara Women's Higher Normal School is a sports event that was begun by Takeji Kinoshita (1872-1946), head manager of the school. Hokorensyu was held on the last eleven days of January every year. The first nine days were called Mikasayamanobori, and the last day was called Nokai. Mikasayamanobori was training for Nokai, a walking race of about 46km. The purpose of this paper is to describe Nokai in the Taisyo Era. The point that the author will describe in detail is how the approximately 46km, walking race was held. The approach employed in this paper was a descriptive analysis of the management and the style of the course in this walking race. The results of the research are summarized as follows : 1) In 1922 the course of Nokai was constructed parallel to the railway line taking care of the safety of students. This course was the same as the round trip railroad line from Nara to Kyoto. 2) In 1923 the course of Nokai was the same style as the previous year, but the route was changed from Nara to Osaka. However, this round trip course was confronted with several problems such as distance, resting places, and the participants' retention of motivation. 3) In 1924 the course of Nokai was changed to a circular course making use of the development of the railways network in the suburbs of Nara. This circular course was called Minamiyamatoichijun and was used for twenty consecutive years. The problems of the previous course mentioned above were thus solved. As a result, the major characteristics of this walking race were established as a circular course along the railway loop. The reason that this course was realized is that a railways network was developed to transport tourists in the suburbs of Nara. The Unebi Line, between Saidaiji and Kashihara Shrine, opened by Osaka Denkikido Railway Corporation in March, 1923, was major factor in the creation of a round course. The development of this railways network, in addition, was promoted by two factors : one is the industrial growth in the Taisyo Era, and the other is the development of the railroad under private management brought about by the wartime boom of world war I.
  • 石川 雄一
    人文地理
    2023年 75 巻 1 号 56-57
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/05/30
    ジャーナル フリー
  • 横浜市青葉区奈良地区の事例
    亀井 啓一郎
    地図
    2000年 38 巻 Supplement 号 12-13
    発行日: 2000年
    公開日: 2011/07/19
    ジャーナル フリー
  • 川名 吉ェ門, 三輪 雅久, 寺内 信, 水谷 頴介
    日本建築学会論文報告集
    1957年 57.2 巻 289-292
    発行日: 1957/07/30
    公開日: 2017/08/30
    ジャーナル フリー
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