本稿の目的は、群馬県の安中公害において多発した「指曲がり症」が、公害と関連があると考えられながらも被害とは認識されない「公害病未満の病」に留まった要因を解明することである。先行調査および本研究が行った調査によると、農民による公害反対運動は敗北し続け、被害拡大を食い止められずにいた。しかし同じカドミウム汚染であるイタイイタイ病が公害病に認定されたことで、安中公害も問題化した。裁判で農業被害が立証される一方、指曲がり症はイ病との対比において未病かつ軽いものと位置づけられ、被害のカテゴリから外れていった。ある身体的変調が疾病か否か、被害か否かというカテゴリをめぐる論争においては、安中のように定義しがたい事例について論じることが困難である。しかし保健医療社会学におけるスペクトラム(連続体)としての病の捉え方は、カテゴリ未定の病の経験を論じることを可能にする。ここに公害研究の展開可能性がある。
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