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クエリ検索: "安波茶"
9件中 1-9の結果を表示しています
  • 早川 史子
    食生活総合研究会誌
    1993年 4 巻 1 号 39-44
    発行日: 1993/09/30
    公開日: 2011/01/31
    ジャーナル フリー
  • 鈴木 信
    日本農村医学会雑誌
    2018年 66 巻 6 号 657-
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/05/02
    ジャーナル フリー
  • 弓削 こずえ, 濱田 耕佑, 阿南 光政, 平川 晃, 凌 祥之
    粘土科学
    2014年 52 巻 3 号 123-128
    発行日: 2014/05/16
    公開日: 2017/06/22
    ジャーナル フリー
    The Okinawa islands are classified as subtropical climate and various crops are produced taking advantage of the characteristic climate. However some crops including tropical fruits or flowers need lots of irrigation water and the needs of a method to save the irrigation water have increased. The objective of this study is to evaluate the soil water movement under the subsurface irrigation in the special dark-red clay soil field (called Shimajiri Maaji) in Okinawa Prefecture. To predict the soil water movement, a numerical model, HYDRUS-2D reported the efficiency to clarify the soil water movement under the subsurface irrigation, was introduced. The soil water movement in the dark-red clay field under the subsurface irrigation was estimated using the soil physical parameters and subsurface irrigation scheme. To verify the accuracy of the model, field observation was conducted in the subsurface irrigated field. The temporal changes of the volumetric water content were measured at the four layers in this field. The result indicated that the soil water content around the relative shallow layer did not change when the irrigation water was supplied by the subsurface irrigation and the subsurface irrigation is effective to reduce the irrigation water loss by the evaporation from the soil surface. The simulated result had good agreement with measured volumetric water content. The numerical model introduced here is effective for water saving irrigation regime in the special dark-red clay soil under the subsurface irrigation.
  • 牧野 登喜男, 樋口 雄
    石油技術協会誌
    1967年 32 巻 2 号 49-59
    発行日: 1967/03/30
    公開日: 2008/06/30
    ジャーナル フリー
    The natural gas resources, probably of disolved-in-water type, exist in the Tertiary Shimajiri Group of Southern Okinawa Islands.
    From the detailed study of surface geology and biostratigraphy, writers have proposed following stratigraphic succession.
    Writers have also studied Shimajiri Group from the economic point of view, and the following facts were recognized.
    1) The thickness of the Shimajiri Group attains to about 2500 meters in this area. Shimajiri Group chiefly consists of massive siltstone, and is open sea deposits with a montonous cycle of sedimentation.
    2) From the investigation of geostructural and biostratigraphical evidence, this area are divided into three blocks: northern, middle, and southern districts. Each block is bordered by the fault, NW-SE in direction. Geological structures of northern and southern districts indicate monoclinal. On the other hand, in middle district complicated several foldings are recognized.
    3) The sedimentary environment of Shimajiri Group indicate a relatively stable bathyal to outer neritic condition, and is most favorable as the mother rock of natural gas, but the very fine sandstone might have been a little permeable as the reservoir rocks.
  • 宮良 當壮
    言語研究
    1942年 1942 巻 10-11 号 125-161
    発行日: 1942/11/30
    公開日: 2010/11/26
    ジャーナル フリー
  • -その名称と機能-
    下郡 剛, 川満 和, 仲村 真
    沖縄工業高等専門学校紀要
    2023年 17 巻 1-26
    発行日: 2023/06/29
    公開日: 2023/09/29
    研究報告書・技術報告書 フリー
    これまで都市開発等によって失われてゆくばかりであった戦争遺跡を、近年では文化財指定して保存してゆこうとする動きが高まってきている。1990年南風原町の沖縄陸軍病院壕群を嚆矢とするこの動向は、1995年の文化財保護法に基づく史跡名勝天然記念物指定基準が改正された後から徐々に加速してゆき、その後の20年間に限定しても、以下の戦争遺跡が次々と文化財指定された。奉安殿・忠魂碑(沖縄市、1997年)、沖縄戦関連宜野座村資料(宜野座村、2001年)、新川・クボウグスク周辺の陣地壕群(うるま市、2004年)、海軍特攻艇格納秘匿壕(宮古島市、2004年)、旧日本軍特攻艇秘匿壕・集団自決地(渡嘉敷村、2005年)、チビチリガマ(読谷村、2008年)、旧登野城尋常高等小学校跡奉安殿(石垣市、2009年)、掩体壕・忠魂碑(読谷村、2009年)、名蔵白水の戦争遺跡群(石垣市、2009年)、旧謝花尋常高等小学校跡奉安殿・本部監視哨跡(本部町、2009年)、161,8高地陣地(中城村、2014年)、旧西原村役場壕(西原町・2015年)、赤松隊本部壕(渡嘉敷村・2015年)などである。  他方で、学術研究の側からは、特に考古学の立場から戦争遺跡の研究が進んでおり、沖縄県立埋蔵文化財センターは、2001年以降、『沖縄県戦争遺跡詳細分布調査(Ⅰ)南部編』(1)、『同(Ⅱ)中部編』(2)、『同(Ⅲ)北部編』(3)、『同(Ⅳ)本島周辺離島及び那覇市編』(4)、『同(Ⅴ)宮古諸島編』(5)、『同(Ⅵ)八重山諸島編』(6)を6年連続で刊行、2015年には『沖縄県の戦争遺跡 平成22~26年度戦争遺跡詳細確認調査報告書』(以下、『沖縄県の戦争遺跡』)(7)も刊行している。  本稿執筆のまさしく最中、2021年10月30日には、「第32軍司令部壕の保存・公開を求める会」主催の第1回シンポジウムが開催されたが(『琉球新報』2021年10月31日)、これも戦争遺跡の保存と研究の進展の動向をうけてのことであろう。  第32軍は沖縄方面の守備を統括し、その司令部は、沖縄戦開始時、首里城の地下にあった。この地下壕内で沖縄の命運全てが決まっており、住民を無制限に巻き込む結果につながった摩文仁への軍司令部退却も、その作戦室にて決定された。以上を踏まえると、第32軍司令部壕は、沖縄戦の記憶継承の要衝をなす場所と言って良い。むしろ今まで何の進展もなかったことの方が不思議なくらいであるが、戦争遺跡の保存と研究は、今や時代全体の流れなのであろう。  さて、「ありったけの地獄を一つにまとめた」戦場という言葉がある。よく沖縄戦全体を示す言葉として耳にするのだが、正しくは米軍公刊戦史『Okinawa:The last battle』(8)中にて、現浦添市の前田高地の戦闘を表現した米軍兵士の言葉を、外間正四郎氏が『沖縄-日米最後の戦闘-』(9)に翻訳した際のものである。この前田高地の戦闘は2017年に映画『ハクソー・リッジ』として公開されるなどもし、沖縄戦の最激戦地のひとつとされている。  この戦場で戦った日本軍部隊のひとつに歩兵第32連隊の第2大隊があり、同隊は前田高地からの退却に失敗し、高地に閉じ込められたため、南部戦線を戦うことなく終戦を迎えた。結果として、隊長以下生存者が比較的多くおり、豊富な回想録が残されている。また、前田高地を含む浦添城跡一帯は1989年に史跡に指定された。そのため、戦争遺跡の最大の天敵とも言って良い開発等の原状変更ができない地域となっている。  本稿では、前に述べた戦争遺跡保存と研究の動向をうけ、豊富に残される回想録を駆使して、この後数百年も残ってゆくであろう前田高地の陣地壕群の解明に挑みたい。
  • —浦添市内出土資料の分析を通じて—
    鈴木 悠
    比較家族史研究
    2018年 32 巻 71-91
    発行日: 2018/03/31
    公開日: 2019/03/31
    ジャーナル フリー
  • 加藤 正春
    民族學研究
    2000年 65 巻 3 号 209-229
    発行日: 2000/12/30
    公開日: 2018/03/27
    ジャーナル フリー
    かつての沖縄では,若者の死の直後に若者仲間が墓に赴き,歌舞音曲をともなった伽をする習俗がみられた。ワカリアシビー(別れ遊び)などと呼ばれたこの儀礼は,死んだ若者のモーアシビー(野遊び。青年男女の野外交遊のこと)仲間が夜毎に墓前に集い,そこで一時を遊び過ごすものであった。儀礼はほぼ一週間ほど続けられたが,いくつかの報告では,幕内から死者の棺箱を出したり,その蓋を開け,死者を座らせて行われることもあったとされている。また,墓前の仮小屋に短く織った手拭い(いんきや織りの手さじ)を飾って集う例も報告されている。儀礼は昭和時代に入ると行われなくなった。本稿では,19例の報告事例の検討から,この儀礼が野遊びの形態をとって死後に行われる若者仲間の追悼儀礼であり,幕内の死者の霊魂を幕前に招き出して行う,生者と死者との直接交流・交歓であることを明らかにする。若者たちが墓前に集まり,棺箱を墓から引き出すのは,死者に近づいて交流しようとする意図であり,短い手拭いをさげるのはそれを霊魂の依代として用い,そこに寄り憑いた死霊を実感するためである。また,引き出した棺箱を開け,死者を座らせるのは,生前と変わらぬ形で死者と直接に交流しようとする試みである。ただし,このような儀礼行為の前提には死の認識があり,死体の変化に対する人々の知識と経験が存在する。なお,儀礼には死霊の危険性に対する忌避観念が表出されていないようにみえる。これは,若者たちが死んだ仲間を追悼するために,死霊の危険性を受け入れた上で儀礼を行っているからである。それは,若者仲間の同輩結合の強さを示すものである。
  • 日本公民館学会年報
    2020年 17 巻 168-198
    発行日: 2020/11/30
    公開日: 2021/01/20
    ジャーナル フリー
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