芥川龍之介「疑惑」は、これまで意味付けがたい細部が多すぎるのが難点と見られてきた。本稿では、聞き手である「実践倫理学」者にとって玄道の「狂人」「怪物」といった言葉がどのような意味を持ったかについて、当時の言説を踏まえて問い直し、新たな解釈を提示する。本作の背景として教育勅語撤回風説事件、哲学館事件、南北朝正閏論、「謀叛論」講演、伊藤博文暗殺事件などを踏まえることによって、これまで単に意味不明とされてきた多くの細部は、いずれも政治的意味を示唆するものとして読み直すことができる。本作は、抑圧したものが疑惑として増幅・回帰するという玄道の物語の力学が聞き手の「私」にも伝染してゆく重層的な作品なのである。
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