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クエリ検索: "宋家鈺"
1件中 1-1の結果を表示しています
  • 十川 陽一
    法制史研究
    2009年 58 巻 83-110,en7
    発行日: 2009/03/30
    公開日: 2014/03/31
    ジャーナル フリー
    本稿は造営関係の規定である営繕令について、北宋天聖令から復原されている唐令に再検討を加え、そこから日本令との比較を行うことによって、日唐営繕令の特質を検討しようと試みるものである。
    天聖営繕令全体の構成を概観したとき、特に復原3・4、12・13が重用な手続きを規定しているものと考えられる。よってこれら四条を中心として、唐令への復原、日本令との比較を行うこととする。
    唐代の諸史料から検討してゆくと、復原3・4は営造行為全体における尚書省への上申という原則を規定したものと理解できる。また復原12・13については、在京・在外営造における人功・用度について上申し許可を得るという手続を規定していたとみられる。すなわち唐令では、営造時の上申を何重にもわたって規定していることが知られる。これは復原3逸文が擅興律疏議に引用されることに端的に示されるように、軍事的な危険性を回避するためであったとみられる。このように営繕令とは、財政的側面と同時に軍事的側面とも密接に関わった篇目として理解しなければならない。
    こうした唐制に対し、養老令においては全ての場合を対象とする人功上申の原則は存在しなかったとみられる。また唐令で規定されていた、上申後の許可を得る部分については養老令では基本的に削除されている。こうした改編には、中央が地方に対して詳細な財政指示を行う唐に対して、日本では地方財政の自立性が強いという、彼我の財政構造の差異が背景にあったものと考えられる。特に日本古代の在外営造では、基本的に唐令のような事前上申はなされておらず、事後報告で済まされることが殆どであった。
    このように日本令では、条文・文言の削除、法解釈の工夫などによって日本的な財政構造に対応させている。すなわち大規模な改変はみられないが、あくまで日本なりの編纂方針に基づいた継受が行われたと考えられる。
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