明治二十一年(一八八八)から大正六年(一九一七)の間、神戸市西部の景勝地・舞子の地に有栖川宮熾仁親王・威仁親王の別邸があった。しかし、威仁親王が同地で刀工を抱え、別邸敷地内に鍛錬場を設けていたことは殆ど知られていない。本稿では、有栖川宮威仁親王に抱えられた刀工・桜井正次が関西を拠点としていた約十年間の動向に着目し、同地に建てられた鍛錬場「如神庵」での事蹟と、その後同庵が移転した京都・八幡市の圓福寺での事蹟について紹介する。また、正次の子・正幸が京都・立命館大学の日本刀鍛錬所に奉職していたことも踏まえ、明治から昭和戦前期における刀剣製作者の置かれた状況を展望する。
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