大正一五年に東京府美術館が開館し、西洋的な壁面で構築された美術館という場を展示の場として得たことによって、書は徐々に壁面芸術へと移行してゆく。昭和二三年の書の日展参入は、壁面芸術としての書を当時の書家たちにより強く認識させる象徴的な出来事であった。本稿では、日展の書部門設置後の書表現の変化を追うことによって、日展における書部門開設の意義について考察する。特に、日展型と呼ばれる書風の確立過程に着目し、その背景を明らかにする。加えて、昭和三一年と三二年の日展及び毎日書道展に着目し、その出品総数に占める大字仮名の割合を確認することによって、尾上柴舟の逝去と大字仮名の発展の関係、そこに日展という存在がもたらした影響について一考することにしたい。
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