P.Bourdieuの場の理論は、対象となる文化領域の固有性やその背後にある構造を明らかにする視座として、さまざ まな文化領域の分析に適用されてきた。これらの多くは、経済資本と象徴資本の対立構造を前提として、「経済資本の否認による卓越化」を中心的に論じている。対して、南田勝也(二〇〇一)が行ったロックミュージック場の分析では、経済資本と象徴資本の対立が調停された場における「経済資本の否認による卓越化」とは異なる卓越化のあり方が示唆された。本稿では、南田が示唆したこの種の卓越化の過程を、日本の代表的な特撮技師である円谷英二の分析によって明らかにすることを試みる。 分析は、主に『定本円谷英二随筆評論集成』(二〇一〇)にまとめられた二六七件の執筆記事を対象とした。まず、量的内容分析を探索的に用いることによって、三つの時期で執筆記事の傾向が異なることを示した。つづいて、執筆記事や他の制作者のテキストを参照しながら、円谷がそれぞれの時期にどのような地位に置かれていたのかを再構成し、執筆記事の傾向がどのような意味をもつのかを考察した。 分析の結果、怪獣映画の商業的成功を象徴資本へと読み替える新しい知覚規範が形成されていることが示された。こ れは、新しい知覚規範の形成を限定生産の下位場に中心的な現象と論じたBourdieuの指摘を補完するものといえる。 また、経済資本と象徴資本が対立しない構造をもつ場では、「経済資本を担保に新しい象徴資本を創出する卓越化」が成立することが明らかとなった。この知見は、経済資本と象徴資本の対立構造を想定することが困難な大衆文化などの領域に場の理論を応用する際の一つのモデルとなるだろう。
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