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クエリ検索: "小林雄" ジャーナリスト
5件中 1-5の結果を表示しています
  • 明治•大正期
    富田 信男
    選挙研究
    1986年 1 巻 65-93
    発行日: 1986/03/20
    公開日: 2009/01/22
    ジャーナル フリー
  • 竹内 和夫
    民族學研究
    1964年 28 巻 2 号 197-208
    発行日: 1964年
    公開日: 2018/03/27
    ジャーナル フリー
  • 大上 渉
    犯罪心理学研究
    2017年 55 巻 1 号 29-45
    発行日: 2017/08/15
    公開日: 2017/09/14
    ジャーナル フリー

    本研究は,1952年から2015年までの間に,日本においてロシア諜報機関(KGB-SVR, GRU)に獲得・運営された32名の情報提供者のタイプとその特徴を調査した。情報提供者に関する詳細情報の収集にはWeb上の新聞記事データベースを用いた。7つのカテゴリー,すなわち情報提供者の年齢,職業,提供した情報の内容,提供した諜報機関,情報の入手方法,情報提供者になった経緯及び動機について,クロス集計分析と多重対応分析が行われた。その結果,情報提供者は4つのタイプ,すなわち「自営業者型」,「自衛官型」,「国家公務員型」,「メーカー社員型」に分類された。情報提供者の特徴は各タイプで相違した。この相違は,情報提供者の職業に関連しているとみられる。この知見は日本におけるスパイ防止活動や機密情報の漏洩防止に貢献するだろう。

  • 政党組織における院外団の再定位
    海野 大地
    史学雑誌
    2021年 130 巻 6 号 39-62
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/06/20
    ジャーナル フリー
    党の正史である『立憲政友会史』は、政友会院外団の成立を一九〇三年一二月とした。しかし一九〇〇年の発会以来、すなわち初期政友会(伊藤博文総裁期)において院外団は活発に活動した。その背景には党組織の不安定があり、安定した政党組織の確立は政友会が桂園体制の一翼を担う前提となった。
    本稿は、政治史・政党史研究の枠外におかれてきた院外の動向に着目し、政友会院外団の成立過程を検討することで、政友会の組織構造や党幹部との関係から院外団を位置づけなおすことを試みる。その目的は、第一に院外団の検討を通して政友会の組織強化過程を示すことで同党が統治主体化する前提を明らかにし、第二に院外団の意義と限界を示し従来の院外団イメージの再検討をはかることにある。
    本稿の成果は以下のとおりである。初期政友会における院外団は、議会を中心に離合集散した代議士経験者と代議士予備軍・壮士の連帯であった。院外団は〈硬論による党幹部との一致〉を一貫して戦略とし、地域利害の先鋭化が招く代議士の統制困難に対峙することで、党本部と地方支部の間で地域利害を束ねる広域秩序であった地方団体とともに、党組織を支える中間団体として位置づく。
    初期政友会の終点となった一八議会の妥協問題は、院外者を自由党再興路線(脱党)と官民調和受容路線(留党)に分けた。政友会院外団の成立は、後者が組織化した結果であり、硬派が逸脱行為を自重する体制内化傾向を伴った。すなわち政友会院外団は〈体制内硬派〉として成立をみる。
    かかる成立過程から、院外団の意義は〈内向きの暴力〉をともなう組織維持志向が党組織の安定化を促す点にあり、それが党幹部による硬派利用に繋がったことが示される。ただしその反面、党組織の安定は組織維持の必要を減退させ、桂園体制下で院外団活動は停滞する。これは党の意思決定の外に位置づくがゆえに地方組織を統合できなかったこととともに院外団の限界となった。
  • 日本小児科医会会報
    2021年 62 巻 2-211
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/12/07
    ジャーナル 認証あり
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