中世から近世にかけて、陰陽道の知識は社会に広く拡散していった。特に暦の知識は、貴族社会の外で独自の展開を遂げた。その代表例として注目されてきたのが、中世の暦占書『簠簋内伝』である。本稿では兵法書における暦占の解説を分析することで『簠簋内伝』を相対化するとともに、『簠簋内伝』が近世社会で大きな影響力を持ち得た理由を問い直し、近世的暦占の在り方を論じた。中世後期から近世初期の兵法書の中では、戦に関わる故事を暦占の根拠とする独自の論理が形成されていた。暦占をめぐっては、近世初期までに著述の目的や文脈に応じて様々な論理が生まれており、『簠簋内伝』はそのうちの一つに過ぎなかった。にもかかわらず『簠簋内伝』が突出した影響力を持ち得た理由の一つとして、同書が暦占に本来付随する陰陽五行説の難解なコンテクストを剥ぎ取り、誰にでも理解しうる知識に作り替えたことが指摘できる。『簠簋内伝』にそのような役割が求められたことは、近世の暦占がそれのみで完結した実践的知識として期待されたことを示している。
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