明治二十五年(一八九二)時点で、大阪俳優組合に所属していた役者は四百四十六名いたが、現在でも記憶されている有名な役者は十パーセントにも満たない。本稿では、中村七賀之助、中村福円、岩井琴女の三人の役者を取り上げ、明治後期から大正初期にかけての大阪の観客の好みを考察する。中村七賀之助は、松島八千代座などの舞台に上ったが、旅興行で身に付けた誇張された演技を得意とした。中村福円は、大阪のみならず東京の小芝居でも活躍し、早替りや宙乗りといったケレンの芸で観客を沸かせた。岩井琴女は、東京の女役者・岩井九女八の弟子であるが、千日前の芦辺劇場で活動写真とキネオラマの余興として、「電気応用」の歌舞伎舞踊を披露し、多くの観客を集めた。これらの芸は、ある種の評者からは格の低いものとみなされたが、多数の観客に受け入れられていたことも事実である。大阪の芝居と観客の好みを考えるとき、このような役者や芸を分析することが欠かせない。
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