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クエリ検索: "平岸霊園"
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  • 横平 弘, 佐藤 馨一, 五十嵐 日出夫
    日本土木史研究発表会論文集
    1985年 5 巻 243-250
    発行日: 1985/06/25
    公開日: 2010/06/15
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    健全な都市の発達には地盤・地質が良好であることが不可欠であり、都市化の基本粂件にもなっている。
    札幌市は明治初年に、比較的地盤の安定な豊平川扇状地上に方形街路都市を計画し、その後、扇状地周辺部に著しく拡大発展してきた。
    札幌市の市街地の地盤は地耐力 (標準貫入試験のN値)、地形、地質などから、次の4段階に分けられる。
    I: 低N値 (N値5以下)、主に沖積軟弱地、地耐力小
    II: 中N値 (N値5~15)、主に扇央-扇端部、地耐力中
    III: 高N値 (N値15~30)、主に扇頂部、地耐力大
    IV: 特高N値 (N値30以上)、主に新第三系、地耐力特大
    この区分によって作成した地耐力分布図を基に、当初の札幌市の市街地と、その後の発展過程をたどると次のようになる。
    (1) 第1期: 1982 (明治15) 年の状態地下水の得やすい豊平川扇状地の扇端部を中心に、最初に市街化された。ここは中N値で、地盤は比較的安定である。扇頂-扇央部の山鼻屯田集落も中N値で、東屯田通りは既に札幌市街と連坦していた。
    (2) 第2期: 1896 (明治29) 年の状態市街化は中N値を示す西方及び南東方へ豊平川を渡って進展し、鉄道を越えて北東方へも及んだ。また、北大の移設に伴い、創成川北西部の低N値の地盤も初めて市街化した。
    (3) 第3期: 1916 (大正) 年の状態引続き同じ中N値の西、東、北西隣接部のほか、薄野南側の南7~9条間への拡張により、中島公園入口までの市街化が完成した。
    (4) 第4期: 1935 (昭和10) 年の状態豊平川以西に残された中N値の扇央地山鼻-南円山地区が、交通機関の発達に伴い著しく発展した。同じ中N値で桑園、及び苗穂南方から豊平川を渡り豊平7条付近にも向かった。北方では北大病院の開設により、低N値ながら北19条まで延伸した。
    (5) 第5期: 1960 (昭和35) 年の状態人口急増に伴い、中N値の南、西、南東方の各周辺部へ虫食状に宅地が蔓延し、国道沿線に飛地状であった月寒などと連坦した。小N値の北西-北-北東隣接部も引続き扇状に広範に進展した。高N値を示す月寒駅北-下白石間が飛地的に市街化したことは注目される。
    (6) 第6期: 1975 (昭和51) 年の状態全般的に虫食い開発の隣接周辺部への穴埋め的市街化の拡大が進んだ。旧月寒駅北同様、西岡西方地区も高N値で、都心にもやや近くにあるが、地形の起伏が大きいために都市化が遅れたと考えられる。また、白石駅北側の北郷地区も高N値であり、交通の発達により最近発展しつつあるが、その北隣の米里-川北-川下地区一帯は低N値のため、都市化はやや停滞している。
    以上の都市化過程を概観すると、第1~2期はほぼ札幌扇状地の扇央-扇端部の良質地盤上での自然順応的都市化であったが、第3期は膨張拡大発展し、北部のやや不良地盤地域へも都市化が進行した。第4期では市電交通網の整備により扇状地地域の都市化がほぼ完成し、第5期は入口の急増に伴い、周辺部の良質地盤へのスプロール的都市化が現われ、第6期にはバス・地下鉄網の発達により、不良地盤地域への都市化が蔓延し、地盤災害を惹起することとなった。
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