戦後日本の文書管理においては、なぜ不用文書の廃棄のみが重視され、アーカイブズの保存が重視されなかったのかについて、米国のレコード・マネジメント概念の受容との関連から考察した。第二次大戦前及び終戦直後に紹介されたファイリング・システムは、もともと文書廃棄を必ずしも重視していなかったが、米国の文書管理事情の翻訳が進むにつれて、徐々にその側面が強調されるようになる。行政管理庁もこのような動向を採り入れた文書管理改善運動を推進するが、ほぼ同時期に総理府が進めていた国立公文書館設置準備との連携は密接ではなかった。両府庁は文書管理とアーカイブズの連携を前提とした米国の方法論を各々に参照していたが、その原理への部分的・一面的理解と省庁セクショナリズムとが、公文書の国立公文書館への移管停滞と大量廃棄をもたらすことになった。
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