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クエリ検索: "抱きしめて" アルバム
8件中 1-8の結果を表示しています
  • 「未来へのメモワール」の実践活動を例に
    杉山 高志, 矢守 克也
    質的心理学研究
    2021年 20 巻 Special 号 S105-S110
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/04/13
    ジャーナル フリー
    本研究は,まだ起こっていない災害現象を,もう起こったこととして捉えるDays–After の概念を用いて,高知県 黒潮町の住民に対する半構造的なインタビュー調査を行った。Days–After とは,災害の発生を確率として捉える のではなく,将来必ず起こるものとして捉えて語る視点である。この視点は,災害の発生が不可避だととらえる ものであり,時として災害に対する諦めを引き起こしかねない視点である。一見してパラドキシカルな試みのよ うに思えるが,本研究では,災害の発生を確実なものとして捉えるDays–After を用いて,防災に対する前向きな 姿勢を導こうと試みた。具体的には,災害が起こってしまった後,あなたは何を残したいですかという質問を使 いインタビュー調査を行った。その結果,Days–After を用いた質問によって,住民は日常生活を振り返り,その 日常を守るための防災行動を考えるようになった。例えば,被災生活では直接的に役立たないため,非常持出袋 に入れる必要はないと住民たちが考えていた写真や文集などを,非常持出袋などに備蓄するようになった。つまり, “ついに” を考えることによって“ふだん” の大切さが活性化され,“ふだん” の大切さに気が付くことで“ついに” に対する備えが引き出されていたといえる。
  • *松村 光太郎, 佐々木 彩乃, 佐藤 詩織
    雪氷研究大会講演要旨集
    2013年 2013 巻 P2-68
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/06/05
    会議録・要旨集 フリー
  • ―ジャパニーズ・ロックを事例として―
    飯塚 深久, 池庄司(大島) 規江
    地理空間
    2023年 16 巻 1 号 21-43
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/01/16
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿は空間的広がりを持たない文字テクストのうちジャパニーズ・ロックの歌曲を対象として,「まち」という舞台(空間)がいかなる情緒や想いと結びついているのかについて,記号表現というシニフィアンと記号内容というシニフィエの二つに焦点を当てながら分析を試みた。その際,研究対象時期を2000年以降とし,2000年代と2010年代に区分して,BʼzとMr.Childrenの全歌曲について分析・考察した。分析の結果,2000年代においてはBʼzの歌曲タイトルという記号表現と「まち」表現とが結び付いていないこと,他方,Mr.Childrenの歌曲タイトルは「まち」と何らかのかたちで結び付いた記号表現として出現していることが明らかとなった。また,記号内容としての歌詞の分析からは,BʼzとMr.Childrenに共通して,倦怠感や孤独感といったネガネティブな感情を持ちながら「まち」で生活する様子を綴っている。そうしたネガティブな感情に立ち向かう意思や自らを鼓舞するかのような表現も両グループの歌詞に通底している。2010年代になると,両グループともに歌曲のタイトルの付し方に変化が見られるが,2000年代と変わらず,Bʼzのタイトルでは「まち」表現との関連が弱いこと,そしてMr.Childrenのそれでは日本語タイトルが「まち」表現の記号表現として働いていることが改めて確認された。一方の記号内容としての歌詞分析からは,両グループともに,2000年代に見られた倦怠感や孤独感といったネガティブな雰囲気を纏った歌詞が消えた。また,Bʼzの「まち」表現の曲においては過去・現在・未来のいずれかを歌っている一方で,Mr.Childrenのそれにおいては現在・未来のいずれかに想いを馳せるかのような歌詞となった。
  • ―デルミラ・アグスティーニの初期作品の分析―
    駒井 睦子
    ラテンアメリカ研究年報
    2019年 39 巻 45-75
    発行日: 2019年
    公開日: 2022/01/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • 淵野 俊二
    小児の精神と神経
    2019年 59 巻 1 号 31-39
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/04/04
    ジャーナル 認証あり
  • 泉沙織
    コモンズ
    2022年 2022 巻 1 号 115-126
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/05/11
    ジャーナル オープンアクセス
     衣服を脱いでいく見世物であるストリップティーズは、日本では 1947 年に「額縁ショウ」と呼ばれる活人画の展覧から始まった。以降広く「ストリップ」と呼ばれ現在まで形を変えながら続いている。本稿では、これまでの先行研究で「黄金時代」と呼ばれた初期のストリップの特徴を明らかにするとともに、当時の批評実践に着目して、ストリップを享受した男性たちのまなざしのあり方を捉えた。  「額縁ショウ」が「ストリップ」と呼ばれるまでの間には、「ばあれすくショー」「りべらるショー」「デカメロンショー」などの様々な呼称があった。ストリップが「ストリップ」の呼び名を獲得してからも、度々「バーレスク」を名乗って上演され、各種メディアにおけるストリップに対する批評文の中でも、たびたび米国のバーレスクが引き合いに出されていた。 ストリップを多く報じた『内外タイムス』等の批評言説によれば、ストリップの中でも裸を見せるだけのショーは「エロショウ」「ハダカショウ」などと呼ばれ批判の対象であった。反対に、卑猥感のなく美しい肉体、巧みな構成と装置を用いたショーは好ましいストリップであるとされ、それこそが「バーレスク」であると理解されていた。つまり「バーレスク」という言葉が時にストリップへの高い評価を表していたのだが、観客が実際に好んだのは露骨な性表現であり、興行主も儲けるためには性表現を必要とした。  そこでストリップが「バーレスク」を名乗り「芸術」を志向することは、ストリップを見ることの後ろめたさや踊り子への哀れみを打ち消す働きがあったと考えられ、そうまでして女性身体を見ていたのは、占領によって排除された自らの男性性を確認する必要があったからである。さらに、踊り子の身体には米国のイメージが投影され、そうした表象を視線によって支配していくことは、敗戦を克服して男性性を再構築するための手段となっていたのである。
  • 矢守 克也, 杉山 高志
    質的心理学研究
    2015年 14 巻 1 号 110-127
    発行日: 2015年
    公開日: 2020/07/10
    ジャーナル フリー
    「Days-Before」とは,破局的な出来事を知る由もなかった事前に実際に存在した語り,事後にそれを再生しようとする語り,もしくは出来事をあえて意識せずに事前について語ろうとする語りを総称する。これらの「もう」おきた出来事をあえて「まだ」おきていないものとして語る語りに注目するのは,教訓・備えの語りにせよ,回復・克服の語りにせよ,多くの語りが当該の出来事を前提にしている点で一つのドミナントストーリーの影響下にあるからである。本稿では,「Days-Before」を,その対極にある「Days-After」,すなわち「まだ」おきていない出来事について,あえて「もう」おきたものとして語ることと連動して用いることで,以下の3点が実現することを理論的に示す。第1に,「Days-Before」は,コンサマトリーな時間の重要性への気づきを促す。それは,出来事というフィルターを介した現実ではなくそれ自体として価値のある現実に光を当てる。第2に,「Days-Before」は,「Days-After」との相乗作用によって,出来事の事前にある人びとを,それを回避するためにインストゥルメンタルな意味で有効な行為に導く。第3に,「Days-Before」は,被災者など実際に出来事の事後に立つ人びとに対しても,フラッシュバックなど否定的な影響だけでなく,新たな世界像の獲得など肯定的な効果を生む。
  • 阪本 博志
    出版研究
    2002年 33 巻 107-146
    発行日: 2003/03/20
    公開日: 2020/03/31
    ジャーナル フリー

    Heibon (published by Magazine House) was founded as a literary magazine in 1945, but it changed into a popular magazine for amusement in 1948. It had two main elements-photogravures and stories. Being tied up with both radio and cinema in many ways, it enlarged its circulation during the first half of the 1950's. However, with the spread of TV during the 1960's, Heibon changed into a magazine whose main element was photogravures featuring TV celebrities. By doing so, it expanded its circulation again during the first half of the 1970's, but was finally discontinued in 1987.

    The discontinuation of the magazine may be explained by three factors influencing each other. First, the change from the age of radio and cinema into that of TV diminished the role of Heibon. Second, Myojo (published by Shueisha) gained more popularity than Heibon since the 1970's. Third, Magazine House changed into a company mainly publishing ‘lifestyle-magazines’ which depend heavily on income from advertisements.

    The three changes about Heibon - two changes of itself and one change of its publisher are very important when we examine popular magazines in post-war Japan.

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