長崎県を中心とした地域に偏在するカトリック
教会堂
は,その内部立面の構成方法を主軸に据えることによって,発展的な史的展開の過程を据えることができる。その主導的役割を果たしたのは五島出身の大工鉄川与助である。本稿では,まず鉄川与助の経歴について述べ,次いで特に西洋建築に秀でた4人の外国人宣教師(マルマン神父,ペルー神父,フレノ神父,ド・ロ神父)とその代表的遺構について述べた。更に,鉄川与助と外国人宣教師との関係を明らかにしたが,その結果,宣教師が深く関わった遺構は
教会堂
建築の発展過程に先行して出現しており,それらが発展的展開の原動力もしくは牽引力となったと考えることができるため,日本人大工が全く未知の
教会堂
建築を建設するに当っては外国人宣教師の指導が重要な役割を果たしたことを明確にした。更に続稿では,鉄川与助の代表的遺構の建築的特徴と意義を明らかにし,全4編を以て彼を棟梁建築家として歴史的に位置づける予定である。
抄録全体を表示