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クエリ検索: "文化的オムニボア"
24件中 1-20の結果を表示しています
  • 文化活動はオムニボア(雑食)かユニボア(偏食)か
    小林 盾, 大林 真也
    理論と方法
    2016年 31 巻 2 号 304-317
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/01/16
    ジャーナル フリー
     この論文は, 分析社会学を実証研究へと応用する. そのために, 美術展や小説などの文化活動を事例とし, 人びとはオムニボア(雑食)的で多趣味なのか, ユニボア(偏食)的で偏っているのかを検討することで, 文化の階層構造(文化格差)を解明する. 分析社会学のDBO理論によれば, 人びとは「~したい」という欲求(Desire)と「自分や世界は~だろう」という信念(Belief)を持ち, 客観的条件である機会(Opportunity)に制約される. そこで, 「自分は自由に文化活動できる」という信念を持ち, さらに等価所得が高く実行機会に恵まれた人ほど,
    文化的オムニボア
    となると仮説を立てた. データとして2015年階層と社会意識全国調査(第1回SSP調査)を用い,
    文化的オムニボア
    を高級文化(クラシック音楽と美術展)と中間文化(小説)の頻度の幾何平均で測定した(分析対象2,769人). その結果, (1)分布から, オムニボアが52.5%いた. (2)回帰分析における教育, 等価所得の主効果から, 高い階層的地位が
    文化的オムニボア
    を促進した. (3)信念(主観的自由)と機会(等価所得)の交互作用効果から, 信念と機会の両立が
    文化的オムニボア
    を促進した. 以上より, 日本社会における文化活動は, ブルデューの主張するような排他的なものではなかった. 分析社会学を用いたことで, 人びとの合理性を仮定する必要がなく, どうじに信念という主観的心理的要因の役割が明確になった.
  • ――文化的雑食性は新しい形態の卓越化か――
    片岡 栄美
    教育社会学研究
    2022年 110 巻 137-166
    発行日: 2022/07/30
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー

     文化的雑食性は,リチャード・ピーターソンの論文が出て以降,文化実践やテイストと社会的地位の関係を論じる社会学的議論の中心となってきた。本稿は文化的雑食性に関する近年の研究から

    文化的オムニボア
    (雑食)のテイストとハビトゥスの諸傾向を整理して,7つの特徴にまとめた。それらは(1)テイストの幅広さと多様性,(2)消費の貪欲性,(3)多様性への開放性と民主性,文化的・政治的寛容性,(4)ジャンルを問わない識別力,(5)特殊なものの選択と識別,(6)新しい美学的感性,(7)文化的ヒエラルキーの改変・創造である。これらの文化的雑食性の特徴は一貫した単一ハビトゥスではなく,相互に矛盾する論点もある。
    文化的オムニボア
    には美的感性や文化資本,象徴的排除の感覚,文化的ヒエラルキーへの無関心の点で異なる,少なくとも3つのタイプがある。問題は,文化的雑食性が新しい卓越化の形態なのかであり,この問への答えはまだ未確定だが,文化的雑食性は高い教育水準や知的柔軟性,再帰的ハビトゥス,道徳的基準との関連を示し,卓越化の新しい形態と考えられる。また日本の1995年と2019年の2時点の全国調査を用いて,文化活動パターンを比較した結果,この24年間で高学歴化が進行したにもかかわらず,ハイブラウ,
    文化的オムニボア
    ,ロウブラウ,非活動層の構成比率に大きな変化はなく安定していることがわかった。ハイブラウなスノッブの比率は少なく,約60%が
    文化的オムニボア
    である。そしてオムニボアの人々は他のタイプに比べて,社会的地位や学歴は有意に高い。
    文化的オムニボア
    は卓越化したテイストと文化資本を持っているが,教育水準が上昇したにもかかわらず文化消費の構造が変化しなかったことから,日本の学校教育がテイストに与える効果は小さく,卓越化したテイストや文化資本は主として家庭を通じて再生産されていると考えられる。

  • ——複数の諸性向と文化的実践の諸相——
    村井 重樹
    年報社会学論集
    2010年 2010 巻 23 号 176-187
    発行日: 2010/08/30
    公開日: 2015/06/12
    ジャーナル フリー
    This paper aims to explore the logic of cultural practice in contemporary society by critically re-examining Bourdieu's concept of habitus. Bourdieu presumes habitus of classes as general and transposable, that which unifies varied cultural practices. But, taking seriously the existence of cultural ominivores into account, we need to reconsider his formula. In terms of its socio-historical conditions, Lahire comprehends the social actor as incorporating heterogeneous and even contradictory dispositions at the level of “habitus of individuals”. This framework will contribute to escaping the caricature of the social world seen in Bourdieu and allow the analysis of multiple cultural practices.
  • 加藤 隆雄
    教育社会学研究
    2020年 106 巻 193-195
    発行日: 2020/05/30
    公開日: 2022/03/31
    ジャーナル フリー
  • 階層再生産と文化的再生産のジェンダー構造
    片岡 栄美
    年報社会学論集
    2002年 2002 巻 15 号 30-43
    発行日: 2002/06/01
    公開日: 2010/04/21
    ジャーナル フリー
    Why is that many sociologists say that the theory of cultural reproduction coined by Bourdieu has no applicability to Japan? I have shown that there is a structural mechanism that conceals cultural reproduction in Japanese society. Most high status men become cultural omnivores who are familiar with both popular culture and high culture, but overall men are not major consumers of high culture. Because the public field is occupied mainly by men, their patterns of cultural consumption are taken to stand for the Japanese pattern as a whole and thus Japanese culture is seen as popular and equalitarian. High culture and its reproduction receives little attention because it is largely concealed in private domains dominated by women.
  • 寺崎 里水
    教育学研究
    2020年 87 巻 2 号 256-258
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/09/30
    ジャーナル フリー
  • ブルデュー理論からみた日本文化の構造と特徴
    片岡 栄美
    文化経済学
    2008年 6 巻 1 号 13-25
    発行日: 2008年
    公開日: 2019/04/05
    ジャーナル オープンアクセス
  • 磯 直樹
    社会学評論
    2021年 72 巻 1 号 67-69
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/06/30
    ジャーナル フリー
  • ―社会経済的地位と性別の観点から―
    下窪 拓也
    スポーツ社会学研究
    2022年 30 巻 2 号 101-113
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/25
    ジャーナル フリー
     本稿の目的は、スポーツ観戦者の社会的属性を解明することである。本研究ではスポーツ観戦を一種の文化消費、つまり趣味と定義して議論を展開した。従来の研究では、社会的属性、特に世帯年収、学歴、職業といった社会経済的地位および性別と文化消費の関連を議論してきた。本研究においても、社会階層および性別と文化消費の関連に関する理論を基に、スポーツ観戦者の社会経済的地位および性別を分析した。本研究では、スポーツライフ・データ2018の二次データを用いた潜在クラスモデル分析により、スポーツ観戦者の社会的属性を検証した。分析の結果、以下のことが明らかになった。まず、スポーツ観戦者の類型として、多くのスポーツを網羅的に観戦し、男性が多く、運動経験の影響を強く受ける高寛容層、寛容性は高寛容層に劣るものの、多様な種目を観戦する女性や高職業階層者が多く属する中寛容層、野球を集中的に観戦し、低・中所得層の男性が多い野球ユニボア層、社会的関心が集まるスポーツイベントのみ観戦し、同居人のいる女性が多いイベントユニボア層、そしてスポーツ観戦に消極的な不活発層の存在が確認された。高寛容層には、スポーツに対する嗜好性の高さが見られた。中寛容層は、スポーツ観戦を社会関係資本獲得のための戦略として用いている可能性と、スポーツ観戦を商品としての文化として消費している可能性があることが議論された。また、ユニボア層においても、大衆文化消費的な動機から野球観戦のみ行う場合と、スポーツへの関心は低いものの社会的関心を集めるイベントのみ消費する場合の、2種類のユニボアが確認された。以上、本研究により得られた知見は、スポーツ観戦者の実態解明の一助となるものである。最後に、本研究の限界と今後の発展可能性を議論した。
  • 宮島 喬
    教育社会学研究
    2022年 110 巻 5-24
    発行日: 2022/07/30
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー

     文化的再生産の理論は,無償の公教育を実現し,教育機会の平等を保障しながら,依然上層階層の再生産と下層階層の再生産が維持されているフランス社会の現実を解明すべくP. ブルデューらにより打ち立てられた。こうした不平等の再生産は,中下層の教育的成功を阻む経済的障害と並んで文化的障害によるところが大きい。これが文化的再生産仮説の核心である。同理論の影響は各国に及んだ。アメリカの場合に一瞥すると,P, ディマジオはその調査に基づき,生徒たちの教育達成には相続的文化資本よりも獲得的文化資本が強く作用するとみ,再生産モデルよりも移動モデルが妥当すると論じた。
     1970代に日本に文化的再生産理論が紹介されたが,「総中流社会」の幻想が支配しており,同理論が受け入れられるに至らない。しかし,80年代に,部分的に再生産理論の影響を受けつつ,同和地区の生徒の学校挫折,低進学率とその条件の研究が行われ,成果を上げた。
     1980年代およびそれ以降,有力大学に学ぶ者の出身階層が高まり,教育における社会的不平等とは何かが論点になってくる。そうした状況下で,若干の研究者が,文化的再生産の過程と関連づけて学生とその文化の調査を行った。その結果として二つの発見事項があった。第一に,学校的成功,社会昇進を可能にする文化資本は,日本の伝統的な文化ではなく,西欧起源の知や教養からなっていること,第二に,そうした文化資本の享受の階層差は,学生を対象とする限り,大きくなく,これは文化資本形成が,相続文化だけでなく,共時的な学習,メディア接触,直接の文化体験などによってもなされていることを意味する。
     比較的高学歴の上層の家族が,次世代における学歴と地位の再生産をはかるため親が子どもの教育に介入するペアレントクラシーが日本にもみられ,これへの批判的な考察が行われ,それが子どもの教育戦略の遂行を母親の役割とみなす点でジェンダー差別を伴っているとする指摘もなされている。また,日本的な文化的再生産過程がしばしば見えにくく,文化的平等神話によって隠蔽されるのはなぜか,という問いも研究者によって提起された。その回答として,日本の上層階層の人々が大衆文化も楽しむ「

    文化的オムニボア
    」であるからという論が行われた。興味深い指摘であるが,そのことが社会的再生産プロセスにどん影響を及ぼすかは十分明らかではない。

  • ―個人史に基づくハビトゥスと文化資本の関係を中心に―
    南田 勝也
    社会学評論
    2023年 73 巻 4 号 363-381
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/03/31
    ジャーナル フリー

    本稿は,個人史研究の有用性を論拠として,ある行為者(著者個人)の幼少期から大学院進学までのライフヒストリーを振り返り,行為者の生育環境や人間関係が特定のテイストのポピュラー音楽といかに結びついていたかを描写する.そのさい,ピエール・ブルデューのハビトゥス概念や文化資本概念の応用可能性を検討し,ハビトゥスが「構造化する構造」とよばれるゆえんについても探求する.もともとはその人にとって偶有的だったポピュラー音楽の嗜好が,階級ハビトゥスと結びつくことで自身の社会的布置を確認する標章となり,主観的な境界感覚が生まれる.次には音楽の作品群が階級性を帯びたものとして表象し,客観的な階級構造の確からしさを強固にする.そうした機制について論じる.

    そのうえで,情報社会が到来した現代において音楽作品は文化資本たりうるのか,という問題を設定する.インターネットの拡散力と生産力によって飛躍的に増大した文化作品群は,上下の区別や系統立った秩序を示すものではなくなりつつある.それでもなお文化と階層の関係を論じる

    文化的オムニボア
    の議論がある一方で,社会には趣味を共有するサークルが閉鎖的に林立しているとする島宇宙化論や,アクセスが容易になり収集のコストが低くなった文化作品群を評したフラットカルチャー論も成立している.こうしたフレームワークの妥当性について検討し,文化社会学の今日的な課題を考察する.

  • 北田 暁大
    社会学評論
    2022年 73 巻 1 号 76-77
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/06/30
    ジャーナル フリー
  • 片岡 栄美
    社会学評論
    2018年 69 巻 3 号 429-430
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー
  • 文化的豊かさに注目した試論的検討
    野々村 元希
    経済社会学会年報
    2019年 41 巻 73-86
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/09/10
    ジャーナル オープンアクセス
    The advocates of neoliberalism affirm the need for competition in the market. This may develop in them an attitude that lacks consideration of the weak because they cannot win in competition if they can consider others to be weak. The consciousness that supports this attitude can be called a “law of the jungle” or “survival of the fittest“ ideology. The aim of this tentative study is to address such an ideology from the viewpoint of social stratification. Based on quantitative data obtained from a survey of Japanese university students, I constructed a scale of economic and cultural wealth and then examined the effects of these variables on the “law of the jungle” ideology. As a result, it was revealed that economic wealth is effective in strengthening this consciousness, while cultural wealth is effective in weakening it. The combination of economic wealth and cultural poverty seems to have a significant effect that strengthens the degree of the “law of the jungle” ideology. It can be interpreted from these results that economic wealth causes an attitude of ignoring others in order to win the competition and build wealth. In contrast, and through frequent contact with the arts, cultural wealth causes an attitude of understanding and heterogeneous coexistence with others because art has the power to feed the imagination.
  • 島田 桂吾
    教育学研究
    2020年 87 巻 2 号 254-256
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/09/30
    ジャーナル フリー
  • 呉 江城
    メディア研究
    2023年 103 巻 113-131
    発行日: 2023/07/31
    公開日: 2023/10/24
    ジャーナル フリー

        This article focuses on the question of how the ’Xiaozi culture’ created in China in the early 2000s and regarded as the media culture of the new urban middle class achieved differentiation from other stratified cultures. ’Xiaozi culture’ was characterized by apathy towards politics, a fervor for consumption, worship of global culture and cultural omnivorousness in which highbrow culture and popular culture coexisted. How these characteristics contributed to the differentiation of ’Xiaozi culture’ is investigated from the perspective of the cultural capital of media workers from elite universities of 1980s. Focusing on the middle-class magazines and newspapers that are at the center of the production system of the ’Xiaozi culture’, this analysis employs Shanghai Weekly, the most representative ’Xiaozi’ magazine (newspaper), as a case study. First, the editorial and management policies of Shanghai Weekly were clarified through a biographical analysis of the editor-in-chief and deputy editor-in-chief, Chen Baoping and Xu Husheng. Then, a comparison with other stratified cultures was performed in terms of front-page design, column placement and content production location information, in order to analyze the function of cultural capital in specific media practices. The results show that the editorial team of Shanghai Weekly consciously differentiated ’Xiaozi culture’ from ’official newspaper culture’ and ’masses culture’ by employing three strategies: (1) excluding politics and emphasizing consumerism, (2) focusing on Western culture within global culture (Western culture orientation), and (3) emphasizing the niche nature of the cultural market (limited acceptance orientation). It was also confirmed that the cultural capital of elite university students contributed to generating such strategies.

  • 理論と方法
    2018年 33 巻 1 号 156-163
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/08/03
    ジャーナル フリー
  • ──教育理論の「可能性の中心」──
    高野 良一
    教育社会学研究
    2014年 94 巻 65-89
    発行日: 2014/05/31
    公開日: 2015/06/03
    ジャーナル フリー
     日本でも学際的に社会関係資本の研究が進み,研究は中間総括期に入っている。本稿もささやかな知的企てを通して,この中間総括の一端を担いたい。その企てとは,社会関係資本の理論的な原型といえる言説を取り上げて,その理論装置を分解し組み立て直すことだ。パットナム,ブルデュー,コールマンの言説を理論的原型と見なすことに,異議は出ないだろう。だが,彼らの理論装置を比較し,その交錯(共通点と対立点)を整理する知的作業は皆無に近い。小論では,資本の性格付け(捉え方・扱い方),社会関係資本の位置付け(外延),構成要素(内包)の諸点からその装置を解析し,彼らの理論的特質の抽出を図った。その結果,コールマンを物象的親ネットワーク論と,ブルデューをハビトゥス「再生産」ゲーム論,パットナムを参加・互酬・信頼「三位一体」論であると総括した。加えて,ヒューリスティックな言説分析の中から,エートス,ハビトゥスや心の習慣という一群の理論的・思想的カテゴリーを再発見した。エートスの社会存在論は,教育目的,教育実践や教育改革の根幹である主体像を問い直し再構築を迫る。ハビトゥスは教育分野でも旧知に属するイシューであるが,エートス論と交差させれば脱構築への道も開ける。社会関係資本とエートスは,教育の社会理論を進化させる「可能性の中心」となる光源に他ならない。
  • 大前 敦巳
    高等教育研究
    2008年 11 巻 25-44
    発行日: 2008/05/26
    公開日: 2019/05/13
    ジャーナル フリー

     本稿は,文化資本の形成という観点から,今日の大学進学者が過去の経験や現在の学生生活を通じていかなる「卓越化」を図るのかについて,問題点の整理と筆者が実施した調査結果の分析を試みる.先行研究からは,一元的な社会階級・階層再生産の視点だけでなく,近年の価値多様化に伴う重層的な諸問題との関係の中で多方面の展開が繰り広げられてきた.関西・北陸8大学・短大生の学習経歴調査,上越教育大学1~4年次の追跡調査からは,出自家庭から文化資本を受け継ぐよりも,大学入学後にその時と場の要求に応じた順応主義的な立場から,多元的な予期的社会化を通じて文化資本を形成する傾向がみられる.不安定化した社会状況において組織よりも個人の判断が尊重される「適応主義」への転換が問題になる中,可変的な文化資本形成のあり方が問われる.

  • ――『文化・階級・卓越化』を踏まえた計量分析――
    相澤 真一, 堀 兼大朗
    教育社会学研究
    2022年 110 巻 115-136
    発行日: 2022/07/30
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー

     本稿では,ブルデューの『ディスタンクシオン』およびイギリスにおけるその実証的展開である『文化・階級・卓越化』から示唆を得て,日本社会において同様の問いを検討し,いかなる文化資本を見いだすことが可能なのかを計量的に検討する。ただし,本来,このような問いを明らかにすることのできる調査データは存在しないため,現在,広く入手可能なデータでどこまでこのような問いに接近可能なのかについて検討する。
     本稿では,文化的変数あるいは生活様式にかかわる変数を投入した対応分析を行う。『文化・階級・卓越化』に則り,対応分析には,文化的活動あるいはライフスタイルにかかわる変数をアクティブ変数として投入する。具体的な分析手順としては,第1に,文化的活動あるいはライフスタイルにかかわる変数のいずれかのみを投入する。第2に,その両者を投入する。このそれぞれの分析結果に追加変数として,社会階層の分析でよく用いられる変数をプロットし,両者の関係を検討する。分析には,2015年「社会階層と社会移動全国調査」(以下,SSM2015)と東大社研パネル調査(以下,JLPS)の一部のWaveを用いる。
     結果として,文化的活動への関与の有無と資本の総量は相関していることが示唆される。特にクラシック音楽や美術への関与と社会階層変数との重なりが大きい一方で,第二軸の分散は主に年齢と関連していることが明らかになった。

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