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クエリ検索: "斎藤寿夫" 政治家
3件中 1-3の結果を表示しています
  • ―静岡県の選挙を事例に
    小宮 京
    年報政治学
    2019年 70 巻 1 号 1_271-1_292
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/06/21
    ジャーナル フリー

    第三次吉田茂内閣は衆議院では絶対多数を確保した。だが、参議院では民主自由党 (のち、自由党) は第二会派にすぎず、多数派を形成するためには第一会派の緑風会の協力が必要不可欠だった。本稿はこうした中央政界の状況が地方政界にいかなる影響を与えたかを考察した。とりわけ注目したのは静岡県の選挙である。吉田首相は1950年の参議院議員選挙や1952年の参議院議員補欠選挙で、緑風会に配慮せざるを得なかった。一方、1951年の県知事選挙では緑風会に配慮する必要がないため、党内の調整だけで良かった。この間、吉田首相と緑風会の交渉の窓口は河井弥八参議院議員であった。河井は静岡県地方区選出で、後に参議院議長を務める、緑風会の有力者であった。本稿は河井の日記を用い、第三次吉田内閣と緑風会の関係を、静岡県の知事選や参議院議員選挙などの各種選挙を通じて明らかにした。これにより従来の吉田内閣像の見直しを行うと同時に、中央の政治状況が地方に直接的に影響を与えたことを明らかにした。

  • 保守政治家・山田弥一の模索と挫折
    小宮 一夫
    選挙研究
    2016年 32 巻 1 号 19-34
    発行日: 2016年
    公開日: 2019/12/01
    ジャーナル オープンアクセス
    中選挙区制下の静岡第2区は,伊豆半島以東の静岡県東部地域を区域とし,戦後は石橋湛山や社会党の勝間田清一の選挙区であった。本稿は,石橋や勝間田と競合した保守
    政治家
    ・山田弥一の選挙戦を検討する。熱海の大月旅館/大月ホテルの経営者でもあった山田は,つるや旅館/つるやホテルの経営者であった畠山鶴吉と国政選挙で同士討ちを繰り広げた。 熱海を畠山と二分する山田は,山田会という個人後援会を組織し,沼津をはじめとする静岡県東部に進出を図った。山田は,当選を重ね,入閣を果たすことで,「熱海の山田」 から「静岡2区の山田」をめざした。しかし,宿敵畠山の参院選に絡む公職選挙法違反と, 河野一郎の秘書を務める伊東出身の新人・木部佳昭に強固な地盤の伊豆半島や静岡東部に根付きかけた地盤を侵食され,「黒い霧解散」にともなう第31回総選挙で落選し,政界から退場することになるのである。
  • 辻 陽
    選挙研究
    2010年 26 巻 1 号 38-52
    発行日: 2010年
    公開日: 2017/05/08
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿は,1955年から2007年の日本の知事選挙を題材として,政党の中央地方関係における凝集性の変化を見たものである。1990年代の衆議院議員選挙制度改革は政党の凝集性を高める方向に,同年代の政界再編と2000年に施行された地方分権改革は政党の地方組織の自律性を高める方向に,それぞれ作用したと考えられるが,実際に確認できたのは1990年代以降の政党の地方組織の自律性の高まりであった。1980年代以降の社会党と同様に,1990年代国政レヴェルでは自民党と対決姿勢を示していた新党のいずれもが,多くの知事選挙で自民党と同一候補を推していた。また,2000年代に入る前後からは,地方政党組織が独自に応援態勢を築く知事選が散見されるようになり,政党本部よりも知事候補の意向に左右される地方政党組織の存在が浮き彫りになった。
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