1.はじめに
2011年の東北地方太平洋沖地震を契機に,日本で自然災害に対する防災対策の見直しがおこなわれた.新潟市では,1964年6月16日に発生した新潟地震は液状化災害と呼ばれるように,新潟市街地は液状化により噴砂や浸水や地盤沈下などの被害をうけた(茅原,1998).その他,新潟市では洪水や豪雨による浸水や軟弱地盤での不同沈下などさまざまな被害が報告されている.このような被害はすべての場所で起こるのではなく,その場所で起こるのは理由がある.例えば,東北地方太平洋沖地震で生じた利根川流域の液状化の被害場所は旧河道跡で生じている(青山ほか,2014).現在の新潟市街地は,アスファルトで覆われ,その下部に隠れた地盤を形成した原地形をみることはできない.アスファルトで覆われた地表面にはどのようなリスクが存在するのだろうか.
本研究では,江戸時代初期から存在する現在の市街地周辺を描いた古地図(絵図)や地形図に地理情報を与え,GIS上で地図レイヤを重ね,原地形,地形改変,土地利用の変遷を復元した.さらに新潟地震などの災害レイヤを重ねることで原地形と災害の対応関係を明らかにし,地形改変や土地利用の変化から想定される被害について考察した.
2.研究地域
新潟市街地の地形は,海岸沿いに発達する比高30mほどの
新潟砂丘
とその内陸側の標高0m地帯の蛇行原低地からなる.
新潟砂丘
は冬季の北西季節風により,海岸沿いの海浜砂が内陸側に運搬され発達した風成堆積地形である.全長約70kmの
新潟砂丘
は,日本海沿岸部で最大規模の砂丘で,3群10列のリッジからなる.
研究地域は新潟市街地で,東西で阿賀野川東部〜新潟島〜関屋分水西部,南北で海岸〜鳥屋野潟までの地域である.この地域は江戸時代初期より多くの古地図(絵図)や地形図が作成されており,信濃川と阿賀野川の河道の変遷や,土地利用の変遷を知ることができる.さらに,1964年6月16日に生じた新潟地震により,市街地は津波による浸水や液状化による噴砂,浸水,地盤沈下などの被害があった.新潟地震直後に空中写真が撮影されており,被害図を作成できる.
3.研究方法
古地図(絵図)は,新潟市役所,新潟県立歴史博物館,岐阜県図書館,信濃川河川事務所,国際日本文化研究センターよりデジタルデータ120点以上を入手した.このうち本研究では,元禄11年蒲原新潟立会小絵図,文政6年新潟町絵図写,明治14年新潟港実測図を使用した.元禄11年と文政6年の古地図については,GISを用いて古地図で描かれた堀,河川,道,村名など現在の地形図と比較して変化していない場所で地上基準点(GCP)を取得し,幾何補正をおこなった.地形図は,国土地理院発行地形図1/25000(明治44年,昭和23年,昭和45年,平成14年,19年)を使用し,地形図の四隅に表記されている緯度経度から幾何補正をおこなった.
4.
新潟砂丘
の地形変化 新潟市街地周辺の地形変化を調べるため,明治44年(1911年)に作成された1/25000地形図を用いて,GISで等高線のポリラインを作成し,等高線間を補間した数値標高モデル(DEM)を作成した.また,現在の地形データとして国土地理院の基盤地図情報のDEM(10m解像度)を使用して,GIS上で二時期のDEMを比較し,高さの変化を求めた.この結果,約100年間で
新潟砂丘
の地形変化が大きい場所は,阿賀野川東部の太夫浜地区と,信濃川と阿賀野川間の新潟空港のある河渡地区であり,30m程の地形変化量が確認された.この急激な地形改変は土地区画整備事業によるもので,新潟地震後の低地から砂丘に移住する居住地を作るために平坦化された.砂丘の縦断プロファイルを作成したところ,比高の変化に加え,複数の砂丘列のリッジも消滅し,1列のリッジ形態に変化していた.
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