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クエリ検索: "新田貞康"
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  • ―養蚕業の発達と新田岩松氏の貴種性―
    板橋 春夫
    日本民俗学
    2023年 314 巻 37-68
    発行日: 2023/05/31
    公開日: 2024/08/06
    ジャーナル フリー

     本研究では、「新田猫」と呼ばれる猫絵が近世後期に生成される要因と、明治以降も形を変えて展開する図像の持つ意義について検討・分析を試みた。制作者の新田岩松氏は、新田義貞の末裔という貴種性を主張する中で、その血筋が徳川家に認められ上野国新田郡下田嶋村(現、群馬県太田市)に屋敷を構えた。知行高は一二〇石と微禄であるが、正月年始礼に江戸城へ登城し将軍に年頭の御祝儀を述べる交代寄合格であった。

     養蚕飼育上で農民を悩ましたのが鼠害対策である。各種の呪術的信仰が知られるが、新田猫は新田源氏の末裔であるという貴種性ゆえに、鼠除けの御利益を信じる農民層に珍重されてゆく。新田岩松氏は四代にわたって新田猫を描き続け、「猫絵の殿様」の愛称で親しまれ幕末明治に至る。新田猫は、新田源氏の系譜を示す象徴の一つになっていく。

     養蚕業の発達の中で新田猫が評判となった結果、類似の猫絵も多数存在している。それらは新田岩松氏の立場から見ると贋作・偽物である。この問題に関し、本研究では「類縁的新田猫」の概念を設定した。新田新井・八幡山の猫絵は、従来の新田猫の図柄とは異なるが伝承からこの概念に包含でき、他の類似猫絵の分類にも有用である。また

    新田貞康
    の猫絵は、新田由良氏の当主貞康が明治十年代に新田由良氏の権威回復運動の中で描いたので「由良系新田猫」の分類も可能だが、貞康一代の猫絵であることから「
    新田貞康
    の猫絵」の表記を提唱した。また、新田猫をめぐる図像の写しの意味についても論及した。

     明治以降になると、富山の薬売りが新田猫を模した猫絵を大量に印刷・配布する。これらも含めて「印刷猫絵」の分類を用意した。富山の薬売りが配布した猫絵の多くは、鼠除けの効能・火の用心をうたっており、養蚕農家だけでなく一般家庭にも利用される猫絵になっていった。近代に入っても鼠除けに効験があるとされる貴種性のある新田猫の評判が続き、新田岩松氏の描いた新田猫が、摺物猫絵や印刷猫絵として全国の家庭に広まっていく展開の過程を明らかにした。

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