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クエリ検索: "日活撮影所"
7件中 1-7の結果を表示しています
  • 『北の国から』美術プロデューサー・梅田正則
    広谷 鏡子
    放送研究と調査
    2021年 71 巻 4 号 26-44
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/05/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
    「オーラル・ヒストリー」の方法論を用いて、関係者の証言をもとに「テレビ美術」についての論考を発表してきたが、今回は、1981年から2002年まで、連続ドラマとドラマスペシャルとして放送された『北の国から』(フジテレビ制作)の美術に着目した。ドラマの舞台である北海道にオープンセットを建設して撮影したこのドラマにおける「美術」の役割は、重要かつ多岐にわたった。本稿では、美術プロデューサー・梅田正則の証言を通じて、それを浮かび上がらせる。 主人公の家族が移り住んだオープンセットの「家」が、どのような発想のもとに生み出され、人が生活する場としてのリアリティーを増していくかを、ドラマの時系列に沿ってたどると、数多くの工夫や苦労が明らかになった。ドラマは「嘘」だが、それを「本物らしく」表現するのが美術の基本、と梅田は言う。元々は映画の小道具係を志し、黒澤明作品を美術の教科書と仰ぐ梅田は、映画に負けない美術をこのドラマで目指した。妥協しない美術のスタンスは、スタッフや出演者の本気度を高め、『北の国から』がテレビ史に残るドラマとなる一翼を担ったのではないか。
  • 照明学会雑誌
    1962年 46 巻 7 号 310-316
    発行日: 1962/07/25
    公開日: 2011/07/19
    ジャーナル フリー
  • 伊藤 智明
    イノベーション・マネジメント
    2010年 7 巻 91-106
    発行日: 2010年
    公開日: 2018/10/23
    ジャーナル フリー
  • 雑誌『FRONT』とその周辺から
    川崎 賢子
    昭和文学研究
    2000年 41 巻 84-99
    発行日: 2000年
    公開日: 2023/05/15
    ジャーナル フリー
  • 木下 千花
    映像学
    2012年 89 巻 22-40,58-59
    発行日: 2012/11/25
    公開日: 2023/03/31
    ジャーナル フリー

    In an interview, Mizoguchi Kenji stated that he began experimenting with the long take, his signature style, in Tôjin Okichi (The Foreigner’s Okichi, 1930). This essay locates the lost film within an intermedial network of mass culture at the time of the Great Depression, on the eve of a revolution that never came. Tôjin Okichi, set in the Shimoda port in the mid 1850s, tells a story of Okichi, a geisha the Tokugawa Shogunate government offered to Townsend Harris, the first US consul general to Japan, as a mistress. My archival research into contemporary media discourse and production memos suggests that the film participated in the “Okichi boom,” a web of tie-ins and adaptations comprised of modernist literature, theater, radio, the phonograph, and, most notably, tourism. Produced and consumed at the time of crisis in modem Japanese history, the Okichi boom played out a number of polarities and tensions, such as Americanism and the Leftist politics, and center and periphery, superimposing the contemporary moga onto Okichi. Furthermore, the film Tôjin Okichi, originally planned to be a talkie and eventually released as a silent film accompanied by popular songs, enables us to reexamine the “talkie” at its mass cultural and intermedial genesis in which its identity as a medium had not yet been settled. Through historicizing both the “talkie” and Mizoguchi’s style within the contemporary media culture, this essay proposes to see continuity between Mizoguchi’s avant-garde montage and his long take, as both styles demand a “distracted” ― intensified, tactile, and bodily ― mode of perception specific to modernity.

  • 辰已 知広
    映像学
    2021年 106 巻 98-119
    発行日: 2021/07/25
    公開日: 2021/08/25
    ジャーナル フリー

    森英恵は1954年より日活を筆頭に、複数の映画会社のために衣裳デザイン並びに製作を行い、映画産業に大きく貢献した。衣裳は照明や音楽と同様、製作において高い技術が求められるとともに、映画の印象を決定付ける重要な要素である。本稿は森の仕事に注目し、『憎いあンちくしょう』(蔵原惟繕監督、1962年)において浅丘ルリ子が着用した、森による衣裳を中心に作品分析を行う。その際、アーウィン・ゴッフマンが提唱した「行為と演技」の概念を手掛かりに、浅丘による登場人物の生成において、「演技」と衣裳が如何に密接に関わっているかを指摘する。1960年代前半における女性表象を概観すると、衣裳は女性性を強く打ち出すスタイルが中心であり、男女二項対立を前提とした物語世界に奉仕する役割を担っていた。一方『憎いあンちくしょう』では、男性も女性も「演技」を通じて自己の望むものへと向かって「行為」をしており、その意味が衣裳に込められた点において、アクション一辺倒であった日活の新基軸として評価できる。

    また、男性登場人物の分析に偏った先行研究とは異なり、自ら行動する浅丘が役を通じて規範からのずれを垣間見せる姿について、衣裳に加えてカメラワークからも把握することを試み、男性主人公に引けを取らない重層的な女性像を明らかにする。さらには浅丘のキャリアを振り返り、日活における女性表象の変遷と日本映画史との関わりを考察する。

  • 地理学評論
    1976年 49 巻 8 号 570-594_1
    発行日: 1976/08/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
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