I.序論 産業再編に関する研究は斯学においても行われてきたが,産業再編と地域との関わりを主に経済的側面から論じたものが多く,地域社会や地方政治に関する考察が不足している.また,産業と地域社会との関わりは「産業地域社会論」で論じられてきているものの,重層的な空間スケールの中での地域が論じられていない.
産業再編が地域にもたらした影響は,地方圏の工業都市,特に,ある一企業の産業再編が地域に大きな影響を及ぼしてきた「企業城下町」において鮮明に現れると考えられる.本発表では,
旭化成
株式会社(以下,
旭化成
と略す)の企業城下町として知られる宮崎県延岡市を事例に取り上げ,産業再編による地域経済・地方政治の変容と,それに対する地方自治体の産業振興政策の変容を,重層的な空間スケールに留意して検討した.
II.旭化成
の事業展開と延岡の位置付けの変化 旭化成
の前進である日本窒素肥料株式会社が延岡に進出したのは,1923年のことである.その後,延岡にはベンベルグ,火薬,レーヨン,食品などの工場が次々と建てられ化学コンビナートとなった.
1953年,
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は合成繊維への進出を目的に,サランの製造を計画した.サランの原料となるポリマーの紡糸工場は,将来の増設を念頭に,手狭になっていた延岡ではなく,製品需要の開拓を目指して製織メーカーや加工メーカーとの密接な連携が可能な三重県鈴鹿市に工場を建設することにした.その後も,
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の新規事業は,大消費地近郊で行われ,1960年代までに神奈川県川崎市,静岡県富士市,千葉県松戸市,岡山県倉敷市などに相次いで進出した.一方,延岡では,労働集約的な繊維事業では合理化が進み,延岡の繊維事業は人材の供給源として機能した.
1970年代,繊維産業は石油危機による原料価格の高騰などにより繊維産業は構造不況に陥った.
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でもアクリル設備の廃棄が決定されるなど生産調整が行われ,繊維事業の集中していた
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延岡地区では人員削減が行われた.
1980年代後半以降,アジア諸国での繊維生産が増加している影響で,国内の繊維産業ではリストラクチャリングが行われ,
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でも,レーヨン事業の撤収が決定された.
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全体に占める延岡地区の従業員の割合は低下しており,1950年には9割だったものが,2000年には2割となっている.現在でも,延岡は
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の主力生産拠点の一つではあるが,
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にとっての延岡は,かつてほどの存在ではなく,その重要性も相対的に低下していった.
III.旭化成
と地方政治の関係の変化 旭化成
と地方政治との関わりは,
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の労働組合を通して行われた.
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の労働組合連合組織である全旭連(全
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労働組合連合会,1987年に
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労連に改称)は,労使協調的な労働組合であった.全旭連は組合員だけでなく,農漁業者や商店主らにも支持を拡大し,市長は1956年以降,全旭連推薦候補が当選し続けており,市議会においても,資料のある1963年以降,全旭連推薦候補が所属する民社党(現在は民主党)は第一党であり続けている.
しかし,こうした状況にも最近変化が生じている.労働組合や下請企業組織は組織を運営していくために組織の統一を行うなど再編成を迫られた.支持組織の弱体化により,市議会議員選挙において民主党の得票率も減少している.
IV.産業振興政策の変化 延岡市では,時代に応じて産業振興政策を施行してきた.
(1)
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依存の政策 1950年代後半以降,他地区への工場進出を食い止めるために「工場設置の奨励に関する条例」を活用し,
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の工場建設を奨励した.
(2)
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依存脱却の政策 「中小企業高度化促進条例」(1971年制定)や「企業誘致条例」(1984年制定)では,中小企業育成や観光業の誘致が行われ,
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依存からの脱却を目指した.
(3)
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依存の政策 1997年に,医療・医薬やエレクトロニクスといった近年の
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の新規事業を後押しする目的で「企業立地促進条例」が制定された.
このように,延岡の産業振興政策は,
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依存と依存脱却の2つの軸の中で揺れ動いてきた.一時は依存脱却に動いていたが,近年,
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依存へ回帰している.
V.結語 近年,延岡市における
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の経済的・政治的影響力は低下しているが,長年地域経済を支えてきた
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に期待する市民もまだ多く,企業城下町から脱却はできていない.
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