昭和一〇年前後、新派・新劇のジャンルでいわゆる「純文学」脚色が流行するなど、文学と演劇の関係はそれまでと異なった様相を見せるようになる。本稿では昭和一〇年の「春琴抄」劇化を取り上げ、久保田万太郎、川口松太郎による脚色の相違を通じ、当時の劇界また観客が「春琴抄」のどこに着目したかを考察する。また、右の考察を通じて当時の劇界と文学界また映画界の関係についても言及していきたい。
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