十七世紀は, 日本社会において, 民衆の世界観に極めて大きな変化のあった世紀であった。それは, 「他界」観念によって構造化された仏教的宗教的な中世の世界観から, 他界を否認し現世的な諸価値を重んじる近世の世界観への急速な世俗化の過程であった。この過程において, 特別に強く強調されたものが「心」とよばれる観念である。当時, この観念は, 朱子学的な教訓書をはじめとして, 仏教, 神道, さらには恋愛物から怪異譚にいたるまできわめて幅広い民衆的な物語群のなかに, 他界観念と入れかわって, 新しい世俗的世界観を支える中心的な役割をはたすものとして登場する。この「心」は, 私的な欲望や個性などといったものとは異なり, 道徳的な諸価値を意志する審級の表象である, といえるだろう。そして, この十七世紀における世界観の変換を通して形成されたいわゆる「通俗道徳」は, 人間の実現するべき諸価値として, 普遍主義的な公共的道徳だけではなく, 勤勉, 倹約による経済的利益の追求と社会的権力関係の尊重という通俗的な諸価値を導入した。人間は, 道徳的公共的な意志を本来的にもった存在として, こうした通俗的な諸価値をも実現すべく, 自己とまわりの社会環境とを統御する責任をもった, 主体化された存在として位置づけられる。十七世紀とは, このような, より世俗的で近代的な世界観と人間像とを生み出した世紀なのである。
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