金沢大学の前身、旧制第四高等学校の旅行部(現在で言うところの山岳部ないしワンダーフォーゲル部)に関する研究報告第三回の本稿では,四高生・廣瀬壽雄を取り上げる。廣瀬は、従来学校当局主導の学生善導組織としての性格を色濃く持っていた四高遠足部を「旅行部」と称し始め、これを学生主体の本格的な登山団体に刷新、大正九年四月には当時初とされた積雪期北アルプス横断「雪中安房越え」に成功し、四高旅行部の名を全国に知らしめた。
その意味で彼は四高旅行部の実質的創始者である。本稿では四高旅行部機関誌『BERG=HEIL』掲載の廣瀬の文章とその周辺の諸資料を参照して、四高入学から大正七年の旅行部立ち上げ、大正八年夏の登山と秋の山岳展覧会・講演会開催までの廣瀬の動向をたどり、その意義について考察する。
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