本稿では明治期の幼稚園で行われた図画教育を解明するために,図画を行う際に使用されたと推測される掛図や絵の実態を明らかにすることを目的とする。そこで明治初期に開園した京都府加佐郡舞鶴町立舞鶴幼稚園(現・
舞鶴市
立舞鶴幼稚園)を対象とし,現存する掛図の調査分析を行った。その結果,舞鶴幼稚園では幼児が肉筆(手描き)の掛図や絵を通して本物の絵に触れる機会があったことが明らかとなった。掛図の一部ではあるが地域の日本画家とのかかわりが示唆され,画家の作品を幼稚園で直接見ることにより,幼児の図画表現の形成の一端を担っていたといえるだろう。
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