本稿は坂口安吾「いづこへ」(「新小説」昭21・10)を、発表時の<責任>と<主体>を巡る二つの問題に接続し、読解するものである。一つは<戦争責任>追及の中で産出される<主体>について、一つは<観念-肉体>の統一<責任>を持つ<主体>について。双方が文学者各々に<主体>の統御を迫り、<自己根拠化>を強いる際に不可視化してしまう<主体>の領域を、<自我探究>を主題とした当作品は、「私」のズレや複数化によって導出している。さらに、作品内外における「賭け」の営為は、自らではない<他なるもの>を<主体>に呼び込むことで、自己完結的な<責任-主体>論理に、再考を促すものである。
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