中世には、広い意味での政治的意図に彩られた<夢>の言説が飛び交い、混沌とした情勢に指針を与え、権威づける機能を果たした。こうした言説を受けとめる側の人々は、<夢>に対してどのような意識を持っていたのだろうか。平安末期の和歌にも「夢」の語は頻用されるのだが、王朝時代の「夢」の用法とは異なる特徴的な詠まれ方として、(1)「この世」と深く関係づけ、或いは等質なものとして扱う、(2)夢の具体的な内実には触れず、覚醒すること自体に重点を置く、といった傾向が認められる。これは、この時代の人々にとって、夢がかつてそうであったような、「現実には成就しない事柄をはかないながらも可能にする別の空間」への通路としての意味を持ち得なくなったことの顕われと考えられる。実際に見る夢ではなく、記述された<夢>に対する当時の人々の心性や姿勢を、和歌を通して探りつつ、それが<夢>の言説の氾濫とどう関わるのかを考察する。
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