中世末期から織豊期にみられる寺院や城郭の石垣普請には技術水準の高い土木, 造園的職能の形成が示唆されている。本研究では, これら石垣普請の職能形成に関して, 当時の日記や史料などからの検討や, 土木作業にあたっていた散所といわれる階層を含む民や寺社の座の分析, また, 現存する石垣の遺構を考察することなどを通じて, 石垣普請に携わった職能の発展過程を検討した。その結果, 石垣普請に関わる職能は大工や河原者などの職能形成には遅れるものの,
権門
寺社の石垣構築や佐々木六角氏や浅井氏などの戦国大名の居城建設等を契機として, 散所の民や
権門
寺社お控えの職人層が各地で石垣を積み, 技術力を高めそれらが安土城で集大成された後, 秀吉の時代に棟梁化して石垣積みの穴太としての地位を高めていく過程が考察された。
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