岩野泡鳴が『新自然主義』を中心とした諸評論で唱える「デカダン」概念の、同時代における尖鋭性と、それが昭和一〇年前後、文壇で評価される理由を明らかにした。諸規範との相克のなかで、あらゆる二元論の破砕を企てる泡鳴の営為とは、最もラディカルな「デカダン」として位置付けられる。また、彼は「デカダン」=「耽溺」を運動の位相において把捉することで、流動的な「自我」を「刹那」の連続として表す「表象」体系を構築しようとしていた。この泡鳴の理論は、「シェストフ的不安」が瀰漫する危機の時代において、ニヒリズムを越える力動性として召喚される必然性を持つものであった。
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