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クエリ検索: "汗血馬"
13件中 1-13の結果を表示しています
  • 松浪 健四郎
    日本体育学会大会号
    1990年 41B 巻
    発行日: 1990/09/10
    公開日: 2017/08/25
    会議録・要旨集 フリー
  • 石田 英一郎
    民族學研究
    1940年 6 巻 4 号 576-578
    発行日: 1940/02/10
    公開日: 2018/03/27
    ジャーナル フリー
  • III トカラ馬と東亜諸地域馬との比較
    林田 重幸, 山内 忠平
    日本畜産学会報
    1956年 27 巻 3 号 183-189
    発行日: 1956年
    公開日: 2008/03/10
    ジャーナル フリー
    トカラ馬は,生物統計学上,体型的に済州島馬,宮古馬,八重山馬,海南島馬及び四川馬に近似性を示し,御崎馬木曽馬,北海道和種,満州馬及び蒙古馬とは近似度が低い。
    東亜の在来馬を南方小形馬と北方中形馬に分けることが出来る。南方小形馬に属するものは,済州島馬,南鮮馬,宮古馬,八重山馬,海南島馬,四川馬,雲南馬,貴州馬,トンキ馬,アンナン馬,東インド諸島及フイリピンの在来馬である。その典型的なものは四川馬の名で知られる四川,雲南,貴州の山岳地帯に飼養される矮馬であり,その体高100~120cmの矮小馬である。トカラ馬は南方小形馬に属す。東インド諸島及びブイリピンの馬はその基礎は小形馬であると考えられるが,アラブ系統馬によつて,やや貴化と大格化をみる。北方中形馬に属するものは,北鮮,満州,蒙古,伊犁,ハイラル,サンペースの馬である。その典型的な在来馬は,内外蒙古に飼養される蒙古馬であると考えられ,その体123~136cm平均131.4cm程度のものであろう。伊犁及びサンペース馬は蒙古馬にアラブの血液の注入されたものである。本邦在来馬である御崎馬,木曽馬及び北海道和種は大さの点で北方中形馬に入る。
    南方小形馬と北方中形馬の分布は図のようである。
  • 目黒 杏子
    洛北史学
    2013年 15 巻 71-73
    発行日: 2013/06/01
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー
  • 田中 淑人
    化学と教育
    1987年 35 巻 6 号 522-525
    発行日: 1987/12/20
    公開日: 2017/07/13
    解説誌・一般情報誌 フリー
    水産動物の中には美しい黄, 赤, 青色などをした魚介類があり, 海中に潜ったり, 水族館などで我々の目を楽しませてくれる。また我々日本人は古来, 赤色をめでる慣習があり祝慶事には赤色の食物(タイ, エビ, 赤飯など)を用いることが多く, これらに用いられる魚の色調が商品価値を左右する一要因にさえなっている。ここでは動物の色を現す色素の種類と性質について水産動物を中心に紹介する。またその中で, マダイやクルマエビ, 金魚などの赤色(カロテノイド)の由来と代謝について解説する。
  • 北海道大学出版会 2020年 xxxii + 231 + 35 ページ
    帯谷 知可
    アジア経済
    2021年 62 巻 3 号 110-112
    発行日: 2021/09/15
    公開日: 2021/09/28
    ジャーナル フリー HTML
  • 末崎 真澄
    Japanese Journal of Equine Science
    1993年 4 巻 1 号 1-23
    発行日: 1993/09/30
    公開日: 2010/06/28
    ジャーナル フリー
     馬の家畜化の始まりについては,ウクライナのデレイフカの遺物調査から,BC4,000年頃に馬が役畜として使用された可能性が高まつている。 一方,車馬の利用については,メソポタミアで,BC4,000年紀のウルクIVa層出土の絵文字にその車輪の表現が見られる。その後シュールのウル王朝の資料等には,板を用いた車輪が見られ,戦車にもう少し機動力をもたせたスポーク式車輪が登場するようになった。このような車輪の改良,方が多い。 ところでオリエントでは,伝統的にやロバに車を引かせており,馬への騎乗も,牛ロバへの騎乗に続くものであった。そしてBC1,500年頃から,騎馬の風習がユーラシアの草原士帯から伝播し,西アジアでもルリスタン青銅器戈化の金属の馬性の銜が発明されると,より力の強い馬の制御も一段と有利となった。 オリエントでは車行に遅れて導入された騎行も,しだいに周辺の文明圏,エジプト,ギリシア,そしてインドへと伝播していった。 これらの車行・騎行の様子は,アッシリアや古代ギリシアの美術・考古資料に数多く表現されており,また実際の車馬の遺物も出土している。 さてユーラシアの草原地帯では,BC2,000年紀には騎行が盛んになったと考えられているが,文献上に登場するのは,ずっと後のことである。BC8世紀頃からアッシリアの文献に記されたキンメル人,続いてBC7世紀には本格的な遊牧騎馬民族スキタイが登場する。このような遊牧騎馬民族は,ユーラシアのステップ地帯の東西に興り,黒海周辺ではスキタイ,サルマタイ,中央アジアにはサカ,月氏,そして東は匈奴などが勢力を奮った。これらの騎馬民族の生活,習俗は,黒海周辺やアルタイ山中の多くのクルガン(墳墓)出土の黄金製品などに見ることができる。 中国での馬の家畜化は,神話によると夏王朝以前にさかのぼるとされるが,殷商代(BC1,500年)以前に考古学的な証拠はないとされる。そして実際の馬車は,河南省安陽市から殷商代のものが見つかっており,また同時代の甲骨文字には,既に馬車の表現が見られる。 ところで東アジアの馬車は,基本的には西アジアの馬車と一致するが,馬車のスポークは東アジアのものに多数のスポークが見られ,とくにステップ地帯にはその古い証拠が発見されている。この馬車は,中国で周代に発展を遂げ,秦代にはその頂点とも言える始皇帝の銅車馬が出土している。この後,中国を統一した漢は,伝統的な重装歩兵と戦車から成る軍隊を改革,同様な騎馬軍団を組織,ついにBC101年には,西方の
    汗血馬
    ,または天馬と呼ばれる名馬を入手する。その名馬の図像は,以降,壁画や俑に多く表現されるようになった。 朝鮮半島へも中国の影響が見られ,楽浪郡跡から車馬具が出土している。一方,半島北部は,北方からの騎馬民族の影響を受けていたと考えられるが,半島でも三国時代(高句麗,新羅,百済)に入ると騎馬の風習が盛んになる。その様子は高句麗壁画に見られ,実際の馬胄も出土。そしてこの馬胄やその他の馬具は,5世紀以降には,日本にも伝えられるようになった。こうしてもたらされた馬具は,その後の日本の馬具の文化を開花させることとなった。 最後に,このたび美術・考古資料により古代の騎行・車行について,紹介してきたが,馬と人間の織りなす壮大な歴史や文化を紹介するには,やや図版不足が否めなかった。但し,近年の研究成果も含めて,その一端なりとも紹介できたと思う。 ところでそれぞれの資料に表わされた馬の図像については,誇張されたり,形式化されたものも多い。また馬と人間の歴史を見ても,馬は,当時の支配者達によって求められ,何十回となく移動され,改良されたことが文献上からも推測される。 よって今後は,近年著しく発展を遂げた科学技術を用いた考古学的なアプローチと併せ,文献上による人の手に成る移動も抑えながら,古代の馬の実像と,騎行・車行の歴史に迫まれることを望みたい。
  • バヒリディノフ マンスール
    アジア研究
    2022年 68 巻 1 号 29-40
    発行日: 2022/01/31
    公開日: 2022/02/05
    ジャーナル フリー

    This paper describes the development of the bilateral partnership between Uzbekistan and China with new content and qualities, especially focusing on the historical background of mutual relations dating back to ancient times, delineating relations from the early modern period to the former Soviet era, and pointing out some legal aspects of multilateral economic partnership mainly after the independence of the Republic of Uzbekistan in 1991.

    The “Introduction” points out the need to focus on the historical background of mutual relations between the both countries. It also mentions that Uzbekistan would assume chairmanship of the Shanghai Cooperation Organization (SCO) in 2022.

    “I. Historical Background” unravels the history of exchange between Uzbekistan and China till modern times. It also points out that the Silk Road supported their important and strategic co‑existence.

    “II. Linkages between Uzbekistan and China from the geopolitical viewpoint of Central Asia” refers to the potential transit of Uzbekistan connecting East and West, the strengthening of regional ties with Central Asian countries including China, the process of economic integration and the expansion and fostering of mutual economic partnership.

    “III. Major Legal Frameworks for Bilateral Cooperation” lists the major elements in bilateral relations since the recognition of Uzbekistan by China in 1991 and the establishment of diplomatic relations in 1992.

    “IV. Cooperation in Regional and International fora” points out that the SCO has been growing as an international organization and that Uzbekistan is one of the countries actively participating in the “One Belt, One Road” project and the Asian Infrastructure Investment Bank.

    “V. Achievements in Economic Partnership Relations” notes the high dynamics of bilateral cooperation in the trade, economy and investment, based on the implementation of legal instruments between the two countries, and the deepening of the cooperation and their recent trends.

    “VI. Bilateral Regional Cooperation” points to the expansion of cooperation between the local administrative bodies of the two countries, the opening up of new directions of regional cooperation, and the establishment of cooperation in various fields.

    “VII. Prospects and New Directions for Cooperation” examines how China has become one of the key partners in Uzbekistan’s efforts to advance major reforms and economic modernization.

    In the “Conclusion”, it’s concluded that Uzbekistan and China will celebrate the 30th anniversary of the establishment of diplomatic relations in 2022, are moving onto more ambitious tasks to overcome the tremendous achievements of the past.

  • 大津 定美
    比較経済研究
    2012年 49 巻 1 号 1_69-1_73
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/03/06
    ジャーナル フリー
  • 加藤 和秀
    史学雑誌
    1986年 95 巻 5 号 844-850
    発行日: 1986/05/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
  • 市岡 朝祐, 加藤 多右衞門
    日本獸醫學會雑誌
    1935年 14 巻 2 号 194-219
    発行日: 1935年
    公開日: 2009/02/19
    ジャーナル フリー
  • 史学雑誌
    1980年 89 巻 2 号 250-272
    発行日: 1980/02/20
    公開日: 2017/10/05
    ジャーナル 認証あり
  • 野澤 謙
    Japanese Journal of Equine Science
    1992年 3 巻 1 号 1-18
    発行日: 1992/09/30
    公開日: 2011/02/23
    ジャーナル フリー
     ウマの家畜化は,他種家畜のそれと同様,漸進的な過程として理解しなければならないが,BC3,000年前後に,東南欧の草原地帯を舞台にして,この過程は大きく進展したと考えられる。この家畜化中心地から東に向う家畜馬伝播の過程,特に蒙古馬成立に至るまでに,Przewalsky野生馬から遺伝子が流入した可能性がないとは言えない。 東亜と日本の在来馬の源流は疑いもなく中国在来馬であるが,中国在来馬には体型を異にした蒙古系馬と西南山地馬の2大類型があり,これらに,西域経由で導入されたアラブ・ペルシア系馬種が多かれ少なかれ遺伝的影響を与えている。中国在来馬の2大類型間の系統的関係については,それらの間の遺伝学的比較調査をおこなうことによって明らかにされよう。「2大類型」と言われてはいるが,西南山地馬が蒙古系馬が単に山地環境での駄載と輓用を主とする用役に適応して生じた矮小化型に過ぎない可能性もないとは言えない。 大陸部,島嶼部を問わず東南アジアの広域に分布する小型在来馬が,中国西南山地馬の系統につらなることに疑問の余地はいまのところない。この地域の現在の産馬は,植民地化の歴史のなかで,西欧系馬種の遺伝的影響を多少とも蒙っていると考えられる。 東北アジア,すなわち韓国や日本の諸在来馬種は主に蒙古系馬の系統につらなると考えられる。韓国済州島馬成立の歴史はこれを示唆しており,この馬種の成立の初期以来,小型化して現在に至っているという可能性がある。日本在来馬のうち南西諸島の小型在来馬が中国西南山地馬に由来するとの説については,この説が,縄文・弥生両期に,南西諸島を含む日本に馬産があったという推測に根拠を置いているところから見て,疑いなきを得ない。最近の考古学的発掘が,日本における馬産が古墳期以降に始まったことを物語っているとすれば,古墳期に朝鮮半島を経由して種々の文物を受け入れるなかで,蒙古系馬が輸入され馬産が始まったと推測する方がより合理的であろう。その場合,南西諸島の小型在来馬はもと本土より南下し,小型化したものと考えられる。ただし,この点については,遺跡から出土した馬骨の生存年代を化学的方法によって明らかにしたデータが蓄積するのを待って最終的判断を下すべきである。
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