近世の地域的米穀流通に関する研究は、所領が錯綜し地主が米穀流通のヘゲモニーを掌握していた地域が中心となっている。本稿では鳥取藩を事例に、米切手(蔵米の引換券)の位置づけに着目して、西国大藩の米穀流通の特質を検討した。また米切手について、都市諸階層や在方の需要という視点を導入し、幕藩領主と商人との関係性に注目してきた先行研究の再検討を図った。
米切手は大坂の諸藩蔵屋敷のものが有名であるが、鳥取藩は領内でも藩士の俸禄を米切手で支給していた。藩士は自身の必要量を除き米切手を仲買に売却し、米切手は仲買を介して藩士・商人・百姓間で流通した。藩士・商人ら米切手所持者が現物の米を受け取る際は、仲仕(荷役労働者)が米切手を藩蔵へ提出し、引き換えた米を所持者のもとへ運搬した。資金調達目的で蔵米の在庫量を越えて発行されたため引き換え期限が有名無実化していた大坂蔵屋敷の米切手と対照的に、鳥取藩領内では引き換え期限を過ぎた米切手は無効化された。大坂の堂島米会所で行われた帳合米商い(先物取引)も、鳥取城下では一時期を除き禁止されていた。
食糧需要が米切手と引き換えられる蔵米で主に賄われていた鳥取城下では、食糧不足の際に藩が仲買らの所有する米切手を買い上げ食糧として分配することもあった。地理的条件から米穀生産に乏しい村々では、年貢を現物の米の代わりに米切手で納めることを願ったが、藩は現物での納入を求めそれを抑制した。
所領錯綜地域と異なり、鳥取藩など西国大藩では領主米の引換券である米切手が米穀流通において重要な位置を占めていた。また諸藩は食糧供給や年貢の現物での徴収のため、領内ではむしろ米切手の引き換え・現物の米の移動を促進しており、大坂蔵屋敷の空米切手発行などは、幕府直轄都市・中央市場という大坂の特殊性に規定されたものと言える。
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