詳細検索結果
以下の条件での結果を表示する: 検索条件を変更
クエリ検索: "浅丘ルリ子"
13件中 1-13の結果を表示しています
  • ビンステッド キム, 滝澤 修
    人工知能
    1998年 13 巻 6 号 920-927
    発行日: 1998/11/01
    公開日: 2020/09/29
    解説誌・一般情報誌 フリー

    We have implemented a simple model of puns in a program (BOKE) which generates puns in Japanese, using linguistic information from a general-purpose lexicon. Our rough evaluation indicates that the puns generated by the program are of comparable quality to those generated by humans. BOKE differs from an earlier English-language system (JAPE) only in the lexicon and the templates used to generate the surface text-the punning mechanisms are the same. This suggests that our model of puns is language independent.

  • 辰已 知広
    映像学
    2021年 106 巻 98-119
    発行日: 2021/07/25
    公開日: 2021/08/25
    ジャーナル フリー

    森英恵は1954年より日活を筆頭に、複数の映画会社のために衣裳デザイン並びに製作を行い、映画産業に大きく貢献した。衣裳は照明や音楽と同様、製作において高い技術が求められるとともに、映画の印象を決定付ける重要な要素である。本稿は森の仕事に注目し、『憎いあンちくしょう』(蔵原惟繕監督、1962年)において

    浅丘ルリ子
    が着用した、森による衣裳を中心に作品分析を行う。その際、アーウィン・ゴッフマンが提唱した「行為と演技」の概念を手掛かりに、浅丘による登場人物の生成において、「演技」と衣裳が如何に密接に関わっているかを指摘する。1960年代前半における女性表象を概観すると、衣裳は女性性を強く打ち出すスタイルが中心であり、男女二項対立を前提とした物語世界に奉仕する役割を担っていた。一方『憎いあンちくしょう』では、男性も女性も「演技」を通じて自己の望むものへと向かって「行為」をしており、その意味が衣裳に込められた点において、アクション一辺倒であった日活の新基軸として評価できる。

    また、男性登場人物の分析に偏った先行研究とは異なり、自ら行動する浅丘が役を通じて規範からのずれを垣間見せる姿について、衣裳に加えてカメラワークからも把握することを試み、男性主人公に引けを取らない重層的な女性像を明らかにする。さらには浅丘のキャリアを振り返り、日活における女性表象の変遷と日本映画史との関わりを考察する。

  • 仲井 克己
    日本文学
    2002年 51 巻 11 号 61-65
    発行日: 2002/11/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー
  • 櫻井 美佳子
    繊維製品消費科学
    2022年 63 巻 8 号 504-508
    発行日: 2022/08/25
    公開日: 2022/08/25
    ジャーナル 認証あり
  • 矢島 仁
    日本写真学会誌
    2023年 86 巻 2 号 135-142
    発行日: 2023/05/20
    公開日: 2024/02/29
    ジャーナル オープンアクセス
    株式会社小西六(現,コニカミノルタ株式会社)が昭和 15 年(1940 年)11 月に発表した六櫻社式天然色印画法に関しては, 現物資料が乏しく詳細は不明であった.しかし,その開発者の江頭春樹が創立時からの理事であり教育にも関わった小西 寫眞専門學校,後の東京工芸大学短期大学部(現,東京工芸大学芸術学部)に「江頭先生標本二千点」と題して,その研 究資料の一部が未整理のまま保存されていた.これを解析した結果,この資料の大部分は昭和 10 年代初頭(1935 年〜)から昭和 18 年(1943 年)ごろまでの,トライパッ ク式『さくら三色用フヰルム』による三色分解ネガと『さくら發色轉現紙』によるカラープリント,およびその研究試作 品を含む実物資料であることが解った.
  • ―雑誌メディアの細分化
    田島 悠来
    出版研究
    2015年 46 巻 41-61
    発行日: 2016/03/20
    公開日: 2019/03/31
    ジャーナル フリー

    本稿は,集英社が刊行する雑誌『明星』の60余年の歩みを,①黎明期:大衆娯楽誌②黄金期:アイドル誌③転換期:「ジャニーズ」専門誌という三つに区分し紐解くものである.特に,70年代までに日本に到来した戦後の大衆社会と,80年代以降の雑誌の細分化に見られるその解体のプロセスを,一つの雑誌のなかで体現しているという意味において重要な媒体として『明星』を位置づけ論じる.

  • 土田 孝雄
    地学教育と科学運動
    2016年 76 巻 64-72
    発行日: 2016/06/25
    公開日: 2021/06/28
    ジャーナル フリー
  • 林 毅, 井形 直弘, 河田 幸三, 植村 益次, 森田 幹郎
    日本複合材料学会誌
    1978年 4 巻 1 号 2-9
    発行日: 1978/01/31
    公開日: 2009/08/11
    ジャーナル フリー
  • 『男はつらいよ』メロドラマ論への覚書
    今井 瞳良
    日本映画学会会報
    2023年 69 巻 2-12
    発行日: 2023/07/26
    公開日: 2024/03/25
    解説誌・一般情報誌 フリー
  • (特集―近代の眼差し―大衆社会の感覚と認識をめぐって)
    波多野 哲朗
    映像学
    1988年 37 巻 99-109
    発行日: 1988/05/20
    公開日: 2017/07/31
    ジャーナル フリー

     An actor died in the mid-summer of 1987, His death became an event far more momentous in Japan than that of any other actors. Thousands of people from all over the country crowded to his funeral. The newspapers and magazines issued special numbers, and TV stations released special programs about him. They generally discussed his daily life in exhaustive detail.

     His real life has been elevated to a mythology. One of the reasons for this is that the characters he played in most of his films symbolized the youthful ardors of the Post-War generation in Japan or its desire for the ideal youth. Besides this, there is a simple confusion between the characters he played and the character as he is.

  • 阪本 博志
    出版研究
    2002年 33 巻 107-146
    発行日: 2003/03/20
    公開日: 2020/03/31
    ジャーナル フリー

    Heibon (published by Magazine House) was founded as a literary magazine in 1945, but it changed into a popular magazine for amusement in 1948. It had two main elements-photogravures and stories. Being tied up with both radio and cinema in many ways, it enlarged its circulation during the first half of the 1950's. However, with the spread of TV during the 1960's, Heibon changed into a magazine whose main element was photogravures featuring TV celebrities. By doing so, it expanded its circulation again during the first half of the 1970's, but was finally discontinued in 1987.

    The discontinuation of the magazine may be explained by three factors influencing each other. First, the change from the age of radio and cinema into that of TV diminished the role of Heibon. Second, Myojo (published by Shueisha) gained more popularity than Heibon since the 1970's. Third, Magazine House changed into a company mainly publishing ‘lifestyle-magazines’ which depend heavily on income from advertisements.

    The three changes about Heibon - two changes of itself and one change of its publisher are very important when we examine popular magazines in post-war Japan.

  • 視聴者とアナウンサーの双方へのインタビュー調査から
    滝島 雅子
    放送研究と調査
    2018年 68 巻 1 号 26-45
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/02/28
    研究報告書・技術報告書 フリー
    放送における美化語の適切な使用の方向性を探るため、今回は情報番組の『あさイチ』を対象に、放送場面の美化語の使用を観察し、それぞれの具体的な美化語について、実際の発話者であるアナウンサーとそれを受け止める視聴者双方の意識を質的に探るインタビュー調査を実施した。本稿では、インタビューの具体的な声を交えながら、アナウンサーの美化語の使用意識とそれを受け止めたときの視聴者の印象を分析する。▽アナウンサーは、番組の場面ごとに人間関係や場にさまざまな配慮をし、自己や対象事物の効果的な見せ方を考える中で、美化語を使用したり控えたりしている。▽美化語を使うかどうかの判断には、アナウンサー自身の使用傾向や社会の慣用が影響している。▽視聴者はアナウンサーによる美化語をおおむね好意的に受け止めている一方、「お」の付け過ぎや、逆に語によっては「お」を付けないことへの違和感を持つことがあり、その意識は性差と強く結びついている。▽全体的に視聴者が放送に美化語を期待する気持ちは強く、アナウンサーもそれに応えようと、情報番組では美化語を多用する傾向にある。一方で、過剰敬語は避けるべきだという規範意識から美化語の乱用を避け、全体として適切な使用を保っているといえる。
  • 長谷部安春の作品群を例に
    鳩飼 未緒
    映像学
    2018年 100 巻 92-111
    発行日: 2018/07/25
    公開日: 2019/03/05
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     日活が成人映画のロマンポルノの製作・配給に転じた1971 年は、その戦後史における大きな転換点をなす。しかしながら、ロマンポルノ以前と以後の日活の間には連続性も見出すことができる。ロマンポルノの配給・興行形態は全盛期とほぼ同じであり、それを支える撮影所での製作の体制も引き継がれたものであった。日本映画全体の基盤としての撮影所システムが瓦解していくなか、1988年まで存続したロマンポルノは撮影所システムの延命策として機能したのである。本稿は、ニュー・アクションの担い手であり、1971年以降にはロマンポルノでも活躍した監督長谷部安春に着目する。具体的には、長谷部のロマンポルノ監督作9 本を取り上げ、長谷部のイメージを利用し観客にアピールしようとした日活側の戦略の変遷と、ロマンポルノという未知の映画の形態に挑戦し、適応していった長谷部の試行錯誤の過程とその限界について論じる。9本の映画は、売り手の日活、作り手の長谷部と、買い手として映画を受容する観客の思惑が絡み合った結果として生まれた。その経緯と、それぞれの映画のテクストに見出されるニュー・アクションとの連続性との関係を検討していき、最終的には、長谷部の9本のロマンポルノと長谷部の存在が、ロマンポルノによって撮影所システムを長らえさせていた日活にとって何を意味したのかが明らかになるはずである。

feedback
Top