地球規模の栄養課題は,栄養不足の問題が解決しないまま,栄養転換(「欧米型」と言われるような,高脂肪,高糖質,食物繊維に乏しい食事の摂取機会が増え,同時に身体活動の機会減少も伴い,集団の体格組成が変化する現象)が起こり,栄養の二重負荷(double burden of nutrition)への対応を迫られている.日本は過去にこの変遷を経験しており,公衆栄養活動がそれら課題に対応してきたと考えられるが,これまでに報告は少ない.そこで本研究では,日本の第二次世界大戦後から今日にかけての公衆栄養政策や活動を時系列にレビューし,分析した. 日本における公衆栄養活動には,(1)地域における栄養改善活動,(2)それらの取組みを支えるための栄養の専門職(栄養士・管理栄養士)制度の構築と養成,(3)国民の健康・栄養のモニタリング評価の機能を果たす国民健康・栄養調査に整理された.さらに(1)地域における栄養改善活動は,主に 3 期(①1945~1965年:地域の自主活動を通した健康づくりと食生活改善の時代,②1966~1999 年:国の政策に基づいた地域主体の健康づくり施策の時代,③2000年以降:少子高齢化時代における多分野連携での栄養問題への対応の時代)に分けられることが考察された.日本において,第二次世界大戦後に健康転換・栄養転換がみられつつも高い平均寿命水準を維持し続けている背景として,保健医療政策・施策に基づいた国・県・市区町村の各レベルの公衆栄養活動のPDCA(Plan, Do, Check, Act)サイクルと,第二次世界大戦後から途切れることなく行われてきた国レベルのモニタリング評価の存在が推察された.持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals: SDGs)達成に向けた日本の栄養改善の経験からの示唆としては,地域・国の持続的な取組みの推進に加えて,地球規模の健康のモニタリング評価の両者プロセスが重要となると考えられた.
抄録全体を表示