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クエリ検索: "灯籠鬢"
4件中 1-4の結果を表示しています
  • 鈴木 昌子
    山野研究紀要
    1998年 6 巻 39-51
    発行日: 1998/03/25
    公開日: 2019/06/10
    研究報告書・技術報告書 フリー
    江戸時代(1603〜1868)は日本文化が中国大陸からつぎつぎともたらされる文物の刺激を受け,豊かに発展した時代である。それは平和な鎖国的環境のもとで成熟期を迎えるとともに,新たに明・清あるいは西洋からの影響も加わって,いろいろな風俗習慣が生まれたのである。日本人は外国からの異文化を和風文化として育てあげ,次に来る文化もまた異文化を捉えて,再度それを和風文化として取り入れてしまう国民なのである。その結果江戸時代は,欧米の文化と東アジア文化が複雑に入りまじった,日本文化の基礎を作ることになったのである。従って大陸での髪型も,江戸時代を通して日本に取り入れられて,日本髪を誕生させる結果となったのである。流蘇髻(図(1)参照)(りゅうそけい)は懐月堂安度とその一門が活躍した時代,また鬆鬢扁髻(しょうびんへんけい)(図(5)参照)は喜多川歌麿の理想の美人の髪を飾った
    燈籠鬢
    (とうろうびん)(図(4)参照)であるが,結局日本髪の誕生は中国文化受容の結果であったといえる。
  • 富田 知子
    山野研究紀要
    2015年 22.23 巻 4-8
    発行日: 2015年
    公開日: 2019/07/30
    研究報告書・技術報告書 フリー
    前稿で記したように和装の技術としての「結ぶ」をテーマの青木との共同作品展において、ここでは富田の「髪」の表現として制作した作品について述べる。現代の髪型においても束ねる、結ぶ技術は使われているが、ここでは「和装」・「結ぶ」を意識し、結髪技術「日本髪」をベースにした作品制作とした。髪型を作る上でその土台となる人頭が必要となる。髪型は顔形と深く関わるため、今回はその土台となる人形から制作をおこなった。人形は高さ約 10cm 程度の大きさで制作した。
  • 鈴木 昌子
    山野研究紀要
    1993年 1 巻 1 号 11-17
    発行日: 1993/03/25
    公開日: 2019/06/10
    研究報告書・技術報告書 フリー
    古代の代表的な髪形は,「美<み>豆<づ>良<ら>」であった。奈良時代になって,唐の文化が輸入されて「高髻」という髪形が流行したが,平安時代に入ると日本独自の文化が生まれ「垂髪」が一般的となり,この髪形が室町時代まで続いた。江戸時代には経済の実権が町人に移り艶麗ともいわれる江戸文化が華ひらいた。垂髪のわずらわしさを解放するために,江戸時代前期には唐輪髷が開発され,「兵庫髷」「若衆髷」や「島田髷」が工夫された。江戸中期になると,女髪結という専業者が生れ,また固練油の鬢付油が開発されて新しい髪形が考案されるようになった。江戸後期になると,江戸中期の豪華・精巧な趣があきられて,すっきりと洗練されたいわゆる「粋」な美意識が好まれるようになり,島田の変形が流行した。男女合わせて約三百種類の髪形が生まれた。現在ではこの一部の髪形が儀式や伝統芸能などの非日常的な分野にのみ伝承されている。
  • 新谷 雅樹
    神奈川県立外語短期大学紀要 総合編
    1993年 15 巻 A1-A16
    発行日: 1993年
    公開日: 2018/02/22
    研究報告書・技術報告書 フリー
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